お店という場所で毎日働いていると、時々、本当にすごい人に出逢うことがあります。 
 SNSとかには決して出て来ない、本物の偉人のような人に…。

 つい数日前、うちのショップに、と或る年配のご夫婦が、真っ直ぐに来店されたのでした。
 ご夫婦は旦那さんの夏用のパンツを買いに来られたとのことで、幾つかお選びいただいて、フィッティングルームでご試着いただきました。
 接客中、旦那さんがご病気なのか、声は出るけれど、全く言葉が話せず、幼い子どもやワンちゃんみたいに「ううううん」とか「ああああい」とか言葉ではない声で奥さんと会話しているのでした。
 僕が奥さんとお話している間も、「おおおううう」という感じで優しい合いの手を入れてきてくださる。

 お会計の時に、レジの前に立っていらっしゃる旦那さんを改めてまじまじと見たら、きっと手もうまく動かない(ご試着の際、奥さんがかなり手伝われているようだったので)から必要なのだと思うけれど、首からペットボトルのお茶を紐の着いたホルダーで子どものようにぶら下げ、それとは別に小さな縦長のポーチも首にぶら下がっておられた(財布とか、ちょっとした物を入れているみたい)。
 カジュアルなシャツにパンツに、なんだか可愛らしいポーチが2つくらいぶら下がっていて、
 とっても愛らしい雰囲気。
 おじさんは、ずっとニコニコしてらして、胸のあたりに可愛いポーチを揺らしながら、「ああおういいい」とカウンター越しに僕に向かって何かおっしゃってくださっていた。 多分「お世話様でした」とか「どうも」とか、お礼を言ってくださっていらっしゃったのだな、と思いました。
 おじさんは、きっとご病気であちこちが麻痺してしまって、そのようになられてしまわれたのでしょう。
 おじさんは、これまで、人知れず、どんなに辛くて大変なことを乗り越えて来られたのでしょう。
 リハビリだってさぞかし大変だったろうし、もしかしたら、一生懸命訓練された末に、ようやくここまで声が出るようになられたのかもしれない。
 可愛い格好、可愛い雰囲気の笑顔のおじさんを見て、僕は、人間って、どんなに過酷な状況でも、その人次第で、こんな風に優しく、愛らしい感じになれるんだ!って、びっくりしながら、そう思ったのです。
 本当は、いきなり話せなくなったら、引きこもったり、暗くなってひねくれてしまうほうがずっとラクで簡単な筈なのに…。おじさんは、もちろん、元々のお人柄がその様に愛すべき存在でいらしたのかもしれないし、または奥さんの支えや助けがあってこそ、明るく優しい方向へ自らをシフトチェンジ出来たのかもしれません。
 それにしても、そんな風に、言葉が通じなくても人に普通に明るく(別に通じなくても全然OK、でも大体は伝わるでしょ!という鷹揚さで)話しかけることが出来、とにかくふんわり優しくて、常にほのぼのあたたかいものを発していて、愛らしい存在でそこに居るおじさんに、僕は内心衝撃を受けていたのでした。

 レジでお見送りをする時、おじさんは、ちゃんと僕の目を見てまっすぐ微笑んでくれていたので、僕は、他に何も出来ないけど、せめて、ありったけの笑顔で微笑み返したのでした。
 もうこれまでの人生史上マックスの笑顔で…。
 真に偉大な人って、そんな風に街の雑踏の中にちょこんと紛れ込んでいたりするんだなあ、とそう思いながら…。


 そして、これは少し遡って、ゴールデンウィーク中の或る祝日のこと。
 以前何度かいらしてくださったことのある小柄なおじいさんが、久しぶりにお一人でいらしてくださり、
「半袖の無地のポロシャツが欲しい」とおっしゃるので、無地のポロシャツのコーナーにご案内したところ、ネイビーのポロシャツをお気に召されてご購入いただけることになったのです。
 このおじいさんは、いらっしゃると、いつもみんなに聞こえるような大きな声で「俺は35億の資産を持っているんだ!」とかおっしゃられるので、(お客様! そんな大声で大金を持ってるなんておっしゃられたら、良からぬ人に狙われたりして危ないのでは…!)とひやひやしながら、お聞きしていたのですが(なおかつ、そんな大金を持ってるなんて容易には信じられず、ただそう言う適当なことを言って見栄を張りたい人なのかな、などと思っていたのでしたが)、その時、たまたまうちのショップに他にお客さんもいなくて、なおかつ中央レジが混んでいて、しばらく順番を待たねばならず、おじいさんのお話をいつもよりもゆっくりお聞きする時間があったのです。
 おじいさんは「どう?洋服は売れてますか?」とお尋ねになる形で話し始め、自分が近所で会社を長年経営されていること、その会社がだいぶ前に運良く特許を取得することが出来、それによって儲けており、今は会長をしているが、その日どうしても社長に用事があり、夕方からの会議に自分が参加しなければならないこと、社員を30人程雇っていて、毎年全員一人ひとりに年間1千万のお給料をあげていること、そのゴールデンウィーク中、休日出勤してくれた社員には皆に1日につき3万円の特別ボーナスを出してあげていること。
その全てをおじいさんは、さり気なく、でも、とても誇らしげに話してくれたのです。
「特別ボーナスの3万円で、その日はぜひ美味しい物を社員に食べて欲しいんだ」と、おじいさんはニコニコしながらおっしゃるのです。
 資産30億円というのは、本当に本当だったんだ!と、おじいさんのお話を聞いてビックリしながら、そう思いました。
 今のこの不景気な時代に、社員全員に年間1千万円もあげている会社って、極めて稀有なのではないでしょうか?
 だって、別にそんなにあげなくたって、社員にはそれなりの金額をあげといて、会長が儲けはなるべくガッポリ貰うのが普通な筈なのに、自分の会社のスタッフにそれだけいっぱいお給料をあげる、というのは、このおじいさんの善意であり、心意気であり、誇りでもあるように思います。
 小柄なおじいさんが、背筋をピンと伸ばしたお姿で話してくれる自社のこと。
 誇らしそうなそのご様子に、すご〜く懐かしい感じの、かつての昭和の世の中の、器の大きな、太っぱらな大人の男の人達の姿が、不意に僕の中に鮮やかに甦ってきたのでした。
 昭和の時代って、こういう強くて面倒見が良くて頼りになる、みんなのお父さんみたいな存在の人が、町のあちこちに確かに居てくれたなあ…って、僕は突然思い出したのです。
 あの男の人たちは、どこに行ってしまったのだろうと思っていたけれど、年月と共にお年を召されて、こんな所に顕在でいらっしゃったのだ。
 不景気も、世間の金銭の常識も関係ない、だって、俺は俺の抱える社員達の為にずっと頑張ってきたし、いわば社員も俺にとっては養うべき大事な家族なんだから。
 誇りに満ちたそんな声がおじいさんの表情から垣間見えるような気がしました。
 そうだ、人々のそういう感じが、昭和の世の中だったんだって、思います。
 今ではすっかり消えて行ってしまった「ロマン」という言葉、「ロマン」というものを人々がちゃんと持っていた時代。
 人間にとって「ロマン」って、本当はすごく大切な気がするなあ…って思ってみたり。
 何よりも、30億円も持っていながら、うちのショップにいらしても、決して無駄遣いをせず、いつも必要な物だけをきっちり1着しかお買いにならないおじいさん。お金の貯まる人って、やっぱり無駄遣いをしないんだなあ…って、僕は、おじいさんのあたたかく、たくましい感じの笑顔を見ながら、突然、遠い昭和の子供に戻ったみたいに、素直に納得& 感心させられたのでした。