いつも思うんです。世の中では、人の内側で起きていることより外側(つまり現実)で起きていることの方が重要視されている風潮があるけれど、本当にそうなのかなって。
毎日内側で起きていることだって、本当はその人にとって、すごく重要なことのように僕は感じてしまうんです。
振り返って見ると、僕の意識はもうずっと長い間眠っていたのです。
何故かはわからないけれど、突然目が覚めたのは多分15年くらい前、それから、少しずつ、徐々に徐々にゆっくりと花が開いていくみたいに目が覚めていっていて、特に去年の秋頃から、ますます僕の意識ははっきりとしてきたのでした。
よく、この現実世界の人々は、起きて活動していても、本当はその意識は皆眠っている、と言われますが、まさに僕もそのひとりなのでした。
突然目の前の霧が晴れていくみたいに、これまでずっと見えなかった物が見え、気づかなかったことに気づけるようになってきました。特に現実の自分自身が前よりもずっとハッキリ見えるのです。
例えば、自分には何が出来て何が出来ないのか、自分自身の本当の気持ち、自分は今これから何をどうしていくべきなのか、色んなことが面白いくらいに鮮明に見えます。
今日まで何となく我慢してきてしまったことや、半ば無意識に引きこもり同然の暮らしをしてきたこと、本当はすごく寂しかったことetc…真っ暗な部屋の窓から急に明るい日差しが差し込んできたかのように、僕の目の前に色々なことが鮮やかに浮かび上がってきました。
年が明けて現実の世の中は、ますます大変な状況になってきたけれど、そんな世界とは裏腹に僕は、今毎日が面白くて仕方ないのです。
だって、昨日までボヤ〜ンとしか見えなかった様々な物達が今日ははっきりと見えるのですから…。
でも、もちろん、まだ僕の意識は完全に目覚めた訳でもなくて、意識の底の方では、きっとまだ幾ばくか眠り続けているんだと思います。
明日からもちょっとずつ、ちょっとずつ僕はこの先ゆっくりと半永久的に目覚め続けるのかもしれないし、或いは「アルジャーノンに花束を」の主人公のように、またある日突然深く深く眠ってしまうのかもしれません。
明日のことはわからないけど、少なくともたった今、ここに、昨日より明確に物が見える今日一日があるって思えるんです。そして、本当はそれだけが「全て」なのかもしれないと、いつものように、そう感じます。
そうして自分の欲しいものがはっきりしてきたので僕はますますお金の無駄遣いをしなくなりました。また、僕は自分自身が今日まで他人をどれだけ怖がってきたかが、ようやっとわかってきました。と同時に、現在の僕は、もう他人のことを怖がらなくてもいいんだということも、心の底からわかってきているのでした。昔大好きなサイキックのお姉さんが「他人は怖くなんかない」と言ってくれた言葉の意味に今ようやく初めて触れているような気がしています。
内側と言えば、僕が日々体験している不思議な出来事も、いつだって僕の意識というトンネル(あるいはコード?)と関係しているように思います。空に見えるUFOも、それ以外のこともです。
いつだったか、親戚の人から思いがけず「えっ?」と思うことをされて、ちょっと悩んでいた時、何故そう思ったのか自分でも分からないのですが、過去世の自分自身に相談してみようかな、という気になったのです。
以前こちらのブログにも書いたチベットでの過去世で、僕が山奥の僧院で僧侶をしていた時、沢山の若い修行僧達の話を聴いたり相談に乗ってあげる為に、毎晩希望者の一人一人と交代で面会する時間を設けていたのですが、その僧侶だった自分に、ある時その親戚との事を心の中でふと相談してみたのです。
するとどうでしょう、すぐさま僕の意識の中でだけ聞こえる声で返答が返ってきました。
それは「どんなに汚れた水溜まりにも必ず天が映っている、ということについて考えてみなさい」というものでした。「空」ではなく、確かに「天」と聞こえてきたのでした。
その言葉と共に、遥か遠い時代のまだビルディングなど建っていない、舗装されていない土の素朴な地面に出来た水溜まりに映る、青空の鮮明な映像が見えてきました。
僕にとっての過去世といえば、やはり以前こちらのブログにも書いたイギリスでの過去世の自分とも時々コンタクトをしているのですが、よく考えてみると、過去世とコンタクトが取れるなんて、この宇宙はいったいどんな仕組みになっているのだろう?と思わずにいられません。
もちろん果たして本当に過去世の自分とコンタクト出来ているのか、どこにも確証なんてないけれど、自分の問いかけにそうして答えてくれる何かが、そこに確かにある(もしかしたら、単に脳の未知の部分が答えてくれてたりするのかもしれません)
現実的に役立つから、それを活用する。シンプルにただそれだけだと最近の僕はそう思っています。
さて、僕の働いているショップが入っている量販店の紳士服売り場に、毎日、朝から晩まで一日中ずっといらっしゃるお客さんがいます。
小柄なご年配のおじさんで、どことなく昔の漫才芸人さんみたいに愛嬌のあるお顔をされていて、ちょっと可愛らしい感じ、憎めない感じです。
そのおじさんが、気がつくと毎日毎日、朝から晩まで1日中僕の店のある紳士服売り場にずっと居るのです。
もちろん紳士服売り場だけじゃなく、食品売り場や館内のあちこちを回って見物したり買い物をしたりしながら、うちの量販店でほぼ1日を過ごしておられるようなのですが(なので、紳士服売り場に日中何回も来られる)、ご自宅に居られない事情でもおありになるのか、それとも、とても寂しくていらっしゃってお店で過ごされているのだろうかと、思わずこちらが心配になってしまいます(ただ、お買い物をするにしても予算がおありになるらしく、うちのショップには決して入って来てくださらないので、残念ながらお話も出来ません)。
おじさんは毎日売り場のパートさん達に商品について尋ねたり、時々お買い得品を買ったりしながら、嘘みたいにずーっと居ます。 いつも身綺麗な格好をしているので、そしてもちろんどこかで働いてもいないご様子なので生活にはある程度余裕がおありなのでしょう。
うちの量販店は大きな貸しビルを借りて経営してるのですが、おじさんの為に、僕は例えばもしかしたら、実はそのおじさんがそのビルのオーナーで、見回りがてら、どうせ自分のビルだし、いつもその中で時間を過ごしているのではないのだろうか…と夢想してみたりします。
でも、きっとおじさんは単純に寂しくて居場所が無いのでしょう。
おじさんは別に良い人だから、パートさん達も嫌な顔をせず、見て見ぬふりで排除もせず、話しかけられたら親切に答えてあげたりしているのでした。
そのおじさんと周囲の人々の様子を見ていて、僕は、まさにそれは今の世の中の縮図のように思いました。
世の中の無関心さと、権利とか思いやりなどの名目のもとに放って置いてくれる、ある種の自由と優しさの世界です。
そうして、ずっと売り場に居るおじさんを見ていると、人間というのは、やっぱり一人では生きていけないものなのかな、と思ってしまいます。
そして、東京にはこんなに人が沢山いるのに、おじさんはどうしていつもそんな風にひとりぼっちでいなければいけないのかな、とも。
世界はとてつもなく広くて、本当は誰しもいつだってどこへでも行くことが出来ます。でも、人恋しさ、孤独という、その心からは決して逃れられないのかもしれない、と改めて思います。
いつだったか、うちの店内をなんの気無しに歩いていたら、突然、目の前に不思議な物が見えてきたのです。
それは、赤茶色をした2メートル以上はありそうな巨大な昆虫(生物)のようにも見えるし、見方によってはこれまで見たことも無い機械(無生物)のようにも見える「何か」なのでした。
と、その瞬間、何故か僕の頭の中に、ある果物の名前が何度も何度も聞こえてきたのです。
それから、これまたどうしてか、僕にはその不思議な物体が、僕の体や心よりももっと大元にある大事な部分(魂?)を守ってくれている存在だということが、わかるのでした。
謎の物体はやがてすぐに目の前から消えていってしまいました。
その瞬間、僕には映画の「マトリックス」のような人智を超えた世界が本当にどこかに存在していることを理解していたのです。
頭の中に繰り返し聞こえてきた果物について後で調べてみたら、全く知らなかったのですが、世界中の多くの宗教や文化で特別な意味を持ち、聖書や神話にも登場し、寺院の供物や装飾に使われている果物だそうです。
いったいそれらは何故、突然僕の前に現れて、どういう意味を持つのだろう?
それは、僕の理解も超えた不思議な出来事。もしも他人に話したら、ただポカンとされたり笑われたりするような事だけど、僕の内側では、決して忘れられない体験です。
そうした目に見えない出来事や誰も知らない心の中の出来事も、現実の出来事と同じようにいつしか思い出のひとつになっていきます。
どちらも一緒だし、おんなじだなって、僕はそう思っているんです。