今日一日のアファメーション
『7月23日 幸福感と、失望感のバランス
 回復、改善の道を歩きはじめてしばらくすると、進歩が止まったような気がするときがあります。もう解決したと思っていた問題がまた戻ってきたりします。もう、こんなに困ったり、苦しむことはないと思っていたのに、また痛みが返ってきます。
 これは回復の道で出会うノーマルな状態です。たとえ共依存やACに特有の数々の行動--たとえば他人をコントロールしようとする--を捨て去っても、日常生きていくことにつきものの問題は毎日出てきます。
 いつもいつも、幸福で楽しい人生を送ることができると思うのはファンタジーです。失望も悲しみも、心の傷も、寂しさも、恐れも人生にはあるのです。
 ただ、回復、改善を続けると、幸福感、楽しい感じと、失望、悲しみなどの感じとのバランスがとれてきます。そして、悲しみ、痛み、心の傷、恐れなどを感じたとき、どのように対処していったらよいのかがわかってきます。』

私の共存の相手は病んでる人で、その人に対してはコントロールしようとはしなくなったけど、その人から逃げようとするあまりに、周りに影響を与えていることはある。
その人とかかわらないように、私が行動を制限して、それはやめますとか、そこには行きませんというと別の人の予定が狂う場合ある。
多少はしょうがないと思うけど、喪中など親類がなくなって前から楽しみにしていたお出かけができなくなると相手もその日予定を変えなきゃいけない。それが親類の不幸という事態じゃなくて、ただの他人の周りにいる病んでる人のせいでってなると、恨みも出てくるよね。
それから、私が豚肉が食べられないとして、食べませんというと、その日豚しゃぶ食べたいなと思ってた同行者は食べられなくなる。それが毎回だと、もうこの人を食事に誘うのやめようってことになる。喪中のような状態が常に起きているのが、病んだ人のせいで自分を変えなければいけない共依存者の状態だとするとかなりきつい。
だから恨む前に境界線、そして物理的に距離を置けるのならそうしたほうが良い。
嫌な状態に巻き込まれてずっといる時間も短くなってきたし、気分を変えるのも前より楽にできるようになったと思う。
それも経験と学習の積み重ねによるものだと思う。




今日の聖句
『自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
マタイによる福音書 6:1』

見られるという事、知られるということで、承認欲求は満たされる。
しかし自己承認とか自己受容とか精神的に健全な方法でなくなる可能性がある。
他人に承認されて満たされるとという不健全な状態。常に満たされるわけではないから他人の承認を追い求めてしまう。それはそれで共依存の脅迫観念になりかねない。自分で基準を持たないACは自己承認で満足することは難しいんだけど、自分とハイヤーパワーの関係において、満たされることがとても大事。そういう意味もこの聖句にはあると思う。
今日も一日お守りください。御心が行われますように。




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