今日一日のアファメーション
『6月25日 いつやめて、いつやり抜くか
何かをすぐにやめてしまう人と、何をやっても、とことんまでやめられない人といます。やめないでやり抜く力と、やめることのできる力と、両方とも大切です。
ただ、いつやめるのが適当で、いつやり抜くのが適当なのか、知る必要があります。たたかれても、しいたげられても、我慢に我慢を重ねて人間関係を続けるのは、自分の健康に良くありません。もし相手が反省し、なおそうとするなら別ですが、そのような意思もなく進歩もないときは、その人との人間関係はやめましょう。あきらめるのは、失敗だと思わないでください。虐待され続け、ボロボロになってつぶれてしまっては、成功とは言えません。
その反対に、少し問題があるだけで逃げてしまうのも、良くありません。つらくてもしばらくようすを見て、適当な努力をしてみましょう。回復、改善への努力も、あきらめないで、地道にやっていくと、光が見えてきます。』
西尾和美さん、わたしのこと、覗いてたでしょwwwって思うね。
去年までの私は、いつも止め時がわからなくて、相手が際限なく出来ない人であるほどハマってた。どうにかしなきゃ、絶対どうにかしなきゃって思ってた。そして何度もボロボロになった。
今はけっこうわかってきたから、やめなきゃいけないと思う。最悪相手が死んでしまっても、おかしくなても私のせいじゃないって自分に言い聞かせてる。そうしないと義務とか罪悪感で押しつぶされそうになってそのエネルギーで関わり続けてやりぬこうとするから。
本当はその人の事を考えるのもやめたほうがいいんだけど、とりあえずなるべく考えないように工夫しながらやめてる。手放してる。諦めてる。
適当って大事。バランス、中庸、大事。
そして一番大事なのは私ということ。私とハイヤーパワーの関係が大事。その次に隣人。
今日はとある二十代で作曲を5年ぐらいやってるという男性がとっても良い歌を歌ってたよ。
歌詞忘れたけど、こんな感じの意味。「みんなちがうけど、違ってても良い。受け入れよう。」
いつも良い曲を作る人だけど、キミもそんなこと考えてるんだねーって思った。私も違いに戸惑ったり、受入れられなかったり受入れなかったりで悩んでるよ。
心の狭い人と一緒に居ると心が狭くなる。これは昨日も書いたことだけど、私は影響を受けやすい。ネガティブに考え始めると影響を受けつつも罪悪感や後悔でどんどん辛くなってくる。それで逃げたくなる。ただ同じようにおろかで心が下品で居続けて心地よいと思っていられない。でもすごく影響されて、器も小さくなる。
この曲を作った人は普段あまり話さないからわからないけど、歌詞になるととても良いことを語る。曲もアレンジも良いよ。MCも別人みたいに話す。自分を表現出来る場所と形態を確立出来ているということは素晴らしい。
だれも邪魔しないよ。
私も音楽で気持よく表現できるようになりたい。他で(複数人が係る作業とかで)やるとなんか邪魔が入りやすい、人間関係に関わってくるからね。そういう場合にどこで切り上げるか、学び時だね。一つ頑張るの諦めた事がある、昨日も書いたけど。それでいいと思った。それ頑張っても私の人生に素敵な影響があるわけではない、一時的に作業がゲームみたいで楽しいだけ。そこで私の方法で楽しむことは望まれないこと。望まれてること、受けることは人をおちょくることを言うとか、無茶ぶりとかの方。でもそれを楽しいと思う人達も居ても構わない人それぞれだから、でも私は楽しくないけど。
「カワイイは正義」、の(私の解釈で)意味するところはカワイイはどうであれ受け入れられる。何ができてもできなくてもそんなの構わず。受け入れられる、いきるのに値するってこと。頭が良かろうが悪かろうが、器用だろうがそうでなかろうが、そんなことはどうでもいい。いきるのにあたいすれば。
だから私はわたしの世界では生きるのに値する。私はわたしの世界では一番カワイイんです。私の世界では私が一番愛されてる存在である!!!と私は自分に言い続けてる。信仰に置いて私と神様の間では私は愛される存在だからそれで良い。
だれも意味がわからないでただウケを狙っていってると思うかもしれないけど、まぁそれでもいいよ。説明もしてないし、説明してもわからないだろうし。
今日の聖句
『そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
ヤコブの手紙 4:7』
二人の主人に仕えることは出来ないって、聖書のどこかに書いてあったなぁ。だから神様を選んだから神様だけ。こっちもあっちもってやってもうまくいかないんだよね。結局。
神様に従ったら神様が良い物を与えてくれる。神様に従ったときに、手放した、いままで慣れ親しんだ世の友が居たとしても、神様はまた与えてくれるかもしれない義しいものとして。
一時的に楽しい相手、寂しさや希望を満たしてくれる相手よりも、神様の選んだもののほうが私のためになる。これを知るまでに、体験するまでに凄く時間がかかった。
知らなかったわけじゃない、聖書を読み教会にかよって頭では知ってた。でもできてなかった。
今は、一時的かもしれないけどちゃんと意識して手放して委ねてお任せしてる。
今日も一日お守りください。御心がかないますように。
西尾和美の今日一日のアファメーションのサイト
心の傷を癒すカウンセリング366日 (講談社+α文庫)/講談社

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最近買った本、これは共依存の人に良いです!






『6月25日 いつやめて、いつやり抜くか
何かをすぐにやめてしまう人と、何をやっても、とことんまでやめられない人といます。やめないでやり抜く力と、やめることのできる力と、両方とも大切です。
ただ、いつやめるのが適当で、いつやり抜くのが適当なのか、知る必要があります。たたかれても、しいたげられても、我慢に我慢を重ねて人間関係を続けるのは、自分の健康に良くありません。もし相手が反省し、なおそうとするなら別ですが、そのような意思もなく進歩もないときは、その人との人間関係はやめましょう。あきらめるのは、失敗だと思わないでください。虐待され続け、ボロボロになってつぶれてしまっては、成功とは言えません。
その反対に、少し問題があるだけで逃げてしまうのも、良くありません。つらくてもしばらくようすを見て、適当な努力をしてみましょう。回復、改善への努力も、あきらめないで、地道にやっていくと、光が見えてきます。』
西尾和美さん、わたしのこと、覗いてたでしょwwwって思うね。
去年までの私は、いつも止め時がわからなくて、相手が際限なく出来ない人であるほどハマってた。どうにかしなきゃ、絶対どうにかしなきゃって思ってた。そして何度もボロボロになった。
今はけっこうわかってきたから、やめなきゃいけないと思う。最悪相手が死んでしまっても、おかしくなても私のせいじゃないって自分に言い聞かせてる。そうしないと義務とか罪悪感で押しつぶされそうになってそのエネルギーで関わり続けてやりぬこうとするから。
本当はその人の事を考えるのもやめたほうがいいんだけど、とりあえずなるべく考えないように工夫しながらやめてる。手放してる。諦めてる。
適当って大事。バランス、中庸、大事。
そして一番大事なのは私ということ。私とハイヤーパワーの関係が大事。その次に隣人。
今日はとある二十代で作曲を5年ぐらいやってるという男性がとっても良い歌を歌ってたよ。
歌詞忘れたけど、こんな感じの意味。「みんなちがうけど、違ってても良い。受け入れよう。」
いつも良い曲を作る人だけど、キミもそんなこと考えてるんだねーって思った。私も違いに戸惑ったり、受入れられなかったり受入れなかったりで悩んでるよ。
心の狭い人と一緒に居ると心が狭くなる。これは昨日も書いたことだけど、私は影響を受けやすい。ネガティブに考え始めると影響を受けつつも罪悪感や後悔でどんどん辛くなってくる。それで逃げたくなる。ただ同じようにおろかで心が下品で居続けて心地よいと思っていられない。でもすごく影響されて、器も小さくなる。
この曲を作った人は普段あまり話さないからわからないけど、歌詞になるととても良いことを語る。曲もアレンジも良いよ。MCも別人みたいに話す。自分を表現出来る場所と形態を確立出来ているということは素晴らしい。
だれも邪魔しないよ。
私も音楽で気持よく表現できるようになりたい。他で(複数人が係る作業とかで)やるとなんか邪魔が入りやすい、人間関係に関わってくるからね。そういう場合にどこで切り上げるか、学び時だね。一つ頑張るの諦めた事がある、昨日も書いたけど。それでいいと思った。それ頑張っても私の人生に素敵な影響があるわけではない、一時的に作業がゲームみたいで楽しいだけ。そこで私の方法で楽しむことは望まれないこと。望まれてること、受けることは人をおちょくることを言うとか、無茶ぶりとかの方。でもそれを楽しいと思う人達も居ても構わない人それぞれだから、でも私は楽しくないけど。
「カワイイは正義」、の(私の解釈で)意味するところはカワイイはどうであれ受け入れられる。何ができてもできなくてもそんなの構わず。受け入れられる、いきるのに値するってこと。頭が良かろうが悪かろうが、器用だろうがそうでなかろうが、そんなことはどうでもいい。いきるのにあたいすれば。
だから私はわたしの世界では生きるのに値する。私はわたしの世界では一番カワイイんです。私の世界では私が一番愛されてる存在である!!!と私は自分に言い続けてる。信仰に置いて私と神様の間では私は愛される存在だからそれで良い。
だれも意味がわからないでただウケを狙っていってると思うかもしれないけど、まぁそれでもいいよ。説明もしてないし、説明してもわからないだろうし。
今日の聖句
『そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
ヤコブの手紙 4:7』
二人の主人に仕えることは出来ないって、聖書のどこかに書いてあったなぁ。だから神様を選んだから神様だけ。こっちもあっちもってやってもうまくいかないんだよね。結局。
神様に従ったら神様が良い物を与えてくれる。神様に従ったときに、手放した、いままで慣れ親しんだ世の友が居たとしても、神様はまた与えてくれるかもしれない義しいものとして。
一時的に楽しい相手、寂しさや希望を満たしてくれる相手よりも、神様の選んだもののほうが私のためになる。これを知るまでに、体験するまでに凄く時間がかかった。
知らなかったわけじゃない、聖書を読み教会にかよって頭では知ってた。でもできてなかった。
今は、一時的かもしれないけどちゃんと意識して手放して委ねてお任せしてる。
今日も一日お守りください。御心がかないますように。
西尾和美の今日一日のアファメーションのサイト
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