今日一日のアファメーション
『3月31日 被害者意識を売りものにしない
 被害者意識について考えてみましょう。大人の場合、たいていの人は被害者となることを自ら許したり、自ら被害者となる行為に参加しているものです。
 披害者意識を持っている人の言葉づかいを聞くと、「あの人が私を苦しませた」「誰それにあんなことをされたから、私はこうなった」「夫は私が外へ出るのを許さないんです」などと、ものごとを他人のせいにして自分は被害者にすぎないかのように言うことが多いものです。このような言葉づかいをしていると、無意識のうちに、自分は何の力もない披害者であることを肯定してしまいがちです。
 自分は、披害者になる必要がないことを学びましょう。どんな言葉づかいをしているのか注意してみましょう。「自分は苦しかった」「誰それはああいうことをするけれど、私はこうする」「夫は私が外へ出るのをイヤがるかもしれないが、私は、どうにかして夫も自分も納得できるよう話しあいを進めていきたい」など、自己の力を肯定する方向に進み、被害者意識を売りものにするのはやめましょう。』

まぁそうなんだけどね。
例えば「夫が私が外にでるのを許さないんです」って言って出るのを許されるかどうかなら出てしまえばいいけど、その後、夫はずっと不機嫌で、いつまでもオレのいうことを聞かないとか、外にでる代わりに別の重荷を負わせるとかそういうことをしてくる。そういうことも含めて「夫は私が外へ出るのを許さないんです」って言う言葉になってるんじゃないかと思う。そういう旦那でも何とか仲良くやっていくには外に出ない選択をする。「取引に応じる」という生き方じゃないかと思う。昔の女性は特にそのように生きてきた。それでその考え方を子どもにも周りの人にも押し付けるので、より機能不全家庭になりやすいんだと思う。
もし奥さんが旦那の被害者であることをやめてしまったら、子どもがかわりに被害者役をやらなくてはいけないということもある。
もう大人だったら被害者になることも選択できる。そのとおりだけどそれはシガラミがなく身軽な場合に限る。経済力もあれば良いけど、一人では生活していけないのがわかってるので我慢してる人も多いと思うな。他人をコントロールせずに、このバランスを取っていくのはとてもむずかしい。
ただ私は今、身軽なので、嫌なものは避けて通って被害者になるのを防げてますww



今日の聖句
『見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
ヨハネの黙示録 3:20』

すぐそこまで、救い主が来ても、だれも受入れなかったら通り過ぎて行ってしまう。
食事を共にする、霊的にも満たされるという、愛にあふれる平和に満たされた事ですら、恐れや不安、猜疑心なので閉めだしてしまうことがある。
全ては信仰、神様との関係について聖書は書かれているけど、いろんな方法で神様は着てくれていても人はなかなか受け入れられないものです。欲があるから。
最初は良心から始めてもそのうち欲に変わってしまうことがあるというのは聖書にたくさん書かれている。
だからいつも心新たに、神様を迎え入れる準備が必要なんだと思う。
恐れるものはなにもないと思えるほどの信仰が私にはあるかなぁ。
今日も一日お守りください。



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