成功者、
はたして、成功者とは何だろう。
きっと人によって、さまざまな定義が存在するだろうが、
改めて考えると、何をもって人は成功者のことを
成功者というのだろうか。
中には、自らのことを成功者だと自負している人も
いるかもしれないが、
印象としては、外から評価される言葉のようにも聞き取れる。
よく、「あの人は、○○で何十億(或いは数百億)も財産を築いた
成功者なのよ」
「あの方は、○○の業界では知らない人がいないほどの成功者
なんだ」
「あの方は、○○の分野では、右に出る人がいないほどの成功者
だって」
等々、いろいろと表現されている。
そもそも、「成功」を辞書でひくと、
① 計画どおり目的を達成すること
② 高い地位や相当の財産を得て社会的に認められること
などとある。
確かに、さまざまな実験や挑戦、
医学の分野においても科学の分野においても「成功」「不成功」
というものもある。
チョモランマへの登頂を「成功」させた登山家もいるだろう。
しかしながら、ここでは仮に「成功」と言うならば、
人生の「成功」としてスポットをあてたい。
さて、人生における「成功」とは、
はたして、一定の財を築いただけの人を「成功者」として
呼んでいいのだろうか。
だとすると、何か空虚差が残る。
確かに、成功者である以上、
経済的な自由をつかみ取ることはあってしかるべきだろう。
だから、時間的にも自由を得ることができる。
そこで、精神的にも自由をつかみ取ると考えてはどうだろう。
結果として、「精神的自由」をつかみ、
また「心」の自由をつかみ取る事こそが、成功者としては
どうだろうか。
本当は、心の自由をつかんだとき、
そこから、人はどう行動を起こすか、
何に、自らの行動の価値を見出すかによって、
成功者が決まる!!
「経済的自由」「時間的自由」「精神的自由」
皆、何気なく求めていることかもしれないが、
是非、そのように私自身は考えたい。
鳩山や小沢などは、けっして成功者じゃないよ。
【心に残る一言】
他の者の幸福の中に、
自分の幸福を見出すのでなければ、
完全なそして長い人生の果てまでの幸福にはならない
吉川 英治