タイトルはレベッカのヒット曲から。
 現在放映中の新房昭之監督アニメ「ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド」のOPで使われているから、知っている人も多いはず。

 因に、俺は2ndアルバム「Nothing To Lose」がお気に入りなのですが、持っているのがなんせ、アナログLP盤…そして、ベスト盤はカセットテープで持っているというわけで、現在ではそれらを再生する機器が壊れていて、聞く事が出来ません。

で、レベッカのライブ動画での「フレンズ」です



 と、いうわけで、前回書いた通り、今回は過去記事のリミックスバージョンです。

 どのタイトルの記事は内緒。
 ただ、1月2日という、正月期間中に書いたと言う事を念頭において、俺の狂いっぷりを楽しんで下さい。

 こういう時、本当にこのブログを日記としてやっていなかった事を、日記としてやらなかった、俺の先見の明を、我ながら凄いと思います。自画自賛ですけどね。

 内容は、俺に撮っての知人友人との関係と、その関係の清算です。

 今回のタイトルと内容のリンク度があまりにもベタで恥ずかしい!

 では、どうぞ!




 人間、30年以上生きて社会と接触をもっていると、どうでもいいと思える人間関係に縛られるものである。

 基本、人間嫌いの、鬱病で基地外野郎の俺は、そんな雑多な人間関係など、今の精神状態で保って行かれる訳も無く、むしろ、保とうとすることが苦痛で仕方が無かった。

 そこで、ここ数年…いや、ここ十数年で知り合いと呼べる程度の人間関係を次々に整理した。
 いや、もしかしたら整理されたのかもしれない。まあ、どっちにしろ、結果としては同じ事なのだろうけれども。

 方法は簡単。こっちからは連絡をしない。
 これで、けっこう雑多な人間関係は整理出来る。

 3ヶ月から6ヶ月、こちらから連絡を取らない期間があると、俺が本当に友人だと思っている品減からは、向こうから連絡が有る。

 まあ、俺が何様って訳でもないけれど、そいうやって知人と友人をふるいにかけて、知人は「要らない者」の箱へ入れて、しまっちゃう。

 整理にかかる時間は、およそ1年。それ以上かもしれない。

 その間にコンタクトの取れた人間だけを、俺は友達と呼び、親友と呼ぶ。


 そして、結局った残った友人関係は、本当に20年以上付き合いのある、親友と呼べる人間関係だけだ。

 その数は、両手で数えても余る程に少ない。
 さらに言えば、その少ない友人たちにさえ、数ヶ月に一度メールをするかしないか程度の最低限の関係を残したにすぎない。
 もっとも、親友というのはその程度の関係性を保っていれば何時でも合えるし、合えばすぐに以前のように友人のまま、コンタクトを取っていない空白の時間が無かったかのように付き合える間柄だと考えているので、それで良いと思う。
 それ故、そのような友人は数が限られてくる。だから両手で数えても指が余る。
 片手でだって余るな。

 ニヒリズムを気取った言い方をすれば「雑多な人間関係で煩わされるより、孤独を選ぶ」と、言ったところだ。

 それでも、と、考える。

 仮に明日、俺が死んだ場合、俺の葬式に参列巣のが親戚を除くと友人が10名以下という、両親や兄弟にはとても恥ずかしい思いをさせてしまうのでは?という負い目を感じる。

 だが、それが俺の人生だったのだから、と、両親や兄弟には納得してもらうしかない。
 俺はそのとき死んでいるのだから、惨めでも寂しくも恥ずかしくもない。
 草葉の陰から胸を張って「これが俺の生き方だったんだよ」と言える。

 一般に友達がいないなんて可哀想だ、などと考える方が多いだろう事は薄々知っている。
 でも、俺にしてみれば、雑多な友人や知り合いとの人間関係を保ち続けるなんて、どれだけ自分の時間と精神力を無駄遣いしているのだろう、と思ってしまう。

 基本、俺は人間が嫌いだ。自分自身を含めて、死滅しても構わないと思う。
 なぜ、そう思うかはいずれこのブログに書き残すとして…

 知り合いや友人が多いというのは、それだけで疲れる。
 もちろん、知り合いが多ければメリットもあるだろう。それは分かっている。

 でも、それでもなお、知り合い程度の付き合いを整理した(された可能性もあるが、俺の主観では整理したで間違いない)のは、メリットだけで人間関係を続けるにはあまりにもデメリットが多いからだ。

 友人間家にメリットでメリットは求めない。
 その友人といて楽しいか楽しくないか。
 楽しい奴だけが友人だ。阿吽の呼吸で会話や行動ができる。互いに互いの踏み込んでいいエリアを知っている。そしてそのエリアに踏み込んで来ても許せたり、ひく事ができる奴こそ親友なのだ。

 だからこそ、親友は少ない。むしろそんな親友が20人もいる方が不自然だろう。

 そんな考えで生きている…行きたくて生きている訳じゃないのだが…俺の葬式に友人が一桁しか来ないのは当然であるが、そんな友人が零でなかったら、俺の人生は幸せだろうな、と考える。

 あとは、ネットの所々に、俺が存在した証が誰にもみられる事無く残り続けるだけだろう。


 だから、両親よ、兄弟よ、それだけで我慢してくれたたまへ。