タイトルはGuns N' RosesのUse Your Illusion IIってアルバムに入っている曲。
14年前っていうと、1996年。
新世紀エヴァンゲリオンが放送されていた頃だ。
あの頃が、アニメがデジタル化した転換期だったように思う。
それまでは、現在みたいにアニメ制作にデジタル化が全面導入されていなくて、エヴァのエントリープラグ内のモニター描写がデジタルで描かれているだけでも、凄かった。
エヴァの内部電源の残り時間とか、そういうのが、綺麗でそれだけでクオリティたけぇ!とか感心した。
最近のアニメは、全面的にデジタルが導入されていて、セル画なんて使っていないらしい。
デジタル化もそうだが、最近は本当に作画のレベルが高くて、僕のような者だと、テレビシリーズで毎回ちゃんと作画されていて…たまには紙芝居なのもありますが…キャラ崩れなんてのは、稀にしか無いように感じる。
それでも、若い人は今回は作画崩壊とか言うんだから、どこまでアニメーターに求めてるんだ!って、思う反面、目が肥え過ぎてるなぁって、関心もする。
若い人が、80年代以前のアニメなんか観たら、どう思うんだろう、とか心配になる。
もう、80年代以前なんか、作画監督ごとに、キャラの顔が明らかに違ったりしたのもんです。
でも、それが面白かった。
エンディングのスタッフロールが楽しみでしょうがなかったのです。
本編を見て、今回の作監は、誰々だとか、推理したりしてね。
そのなかで、女の子が可愛いかったのが、…個人的趣味ですが…土器手司だったり、パースがすげぇとか思ったら金田伊功だったり、ミサイルの動きで板野一郎を当ててみたりと、作監ごとに、キャラデザインをギリギリ保ったラインで個性を出していた。
彼らは、作監でなくても、原画担当でも、それと分かる程の強い個性があった。
今は、あそこまで作監によって違いが出る事は無い。
特に、今ではキャラクター総作画監督とか、メカ総作画監督とか、1クールや2クール作品では、シリーズ通して、それぞれの総作監がいるから、特にその傾向が強い。
それは、とても良い事だと思う。
だって、皆がみんな、前出のアニメーターみたいな天才じゃないんだから、作画が安定している事は素直に良い事だと思う。
名作のガンダムだって、作画は本当に酷かった。キャラだって毎回崩れていたし、メカだって、そうだ。ガンダムのシールドは、ガンダムの顔面を描くのが大変だから、シールドで誤摩化していたし、バンクシーンも多かった。もっとも、富野監督は、バンクシーンの使い方が上手い事で有名だが。
多くの人が、ガンダムは劇場版を観ているから、そうは感じてないだろうが、テレビシーズは3クール突入前後に作画の要であった安彦さんが倒れたもんだから、本当に酷かった。
ちなみに、安彦さんの描くガンダムは本当にスタイリッシュで格好良かった。
さらに、その上っていうか、その下を行ったのが、マクロスだ。
再放送時は修正された部分が多いが、初回放映時は、とんでもなかった。
メカはカクカク動くし、完全に止め絵なのに、SEで足音を入れて、アフレコで声を入れて、キャラクターが歩きながら会話していたり、脳内補完しなければ観られないような回が連蔵だった。
まあ、それはそれで話題になったが…
基本、アニメの1~2話は、使用セル枚数が多く使用されていて、視聴者を引き込んで、4話目ぐらいからボロが出始めるのが常識だった。
現在でもそれは、使用原画枚数に制限を決めているスタジオもあるので、その伝統は残っているみたいですけどね。
原画や動画枚数が増えれば、いくらデジタル環境での製作現場でも時間と経費がかかる。
元々、アニメの制作費は他のテレビコンテンツに比べて安い。
それは、手塚治の責任だ。
彼が虫プロでアニメ制作を始めた時に、自分がアニメを作りたかったがために、安い制作費でアニメ制作を引き受けたのが、そもそもの始まりで、その悪い伝統が現在も続いている。
デジタル技術の全面導入は、そんな安い制作費でアニメを作る環境をガラリと変えた。
アニメーターの過酷な作業環境も改善されたし、アニメ自体のクオリティもアップされたのだから、良い事に決まっている。
その反面、土器手さんや、金田さん、板野さんのような、飛び抜けたアニメーターが居ない事に寂しさも感じる。
まあ、そんなマニアックな視点でアニメを見る必要も無いのだが…
もっとも、デジタル技術が使用されたのは80年代にもあった。
1984年のガイナックスの初作品である劇場アニメ「王立宇宙軍~オネアミスの翼」では、エフェクトや、作画にもデジタル技術が使われていた。
飛行機のプロペラが回転するシーンなど、驚いたもんだ。
その頃の常識で、プロペラがゆっくりと回転し始めてフル回転に至るまでのシーンを斜めからのアングルで描くなんて、あり得なかった。
それが、王立宇宙軍~オネアミスの翼ではあった。
あれは、手書きでやったら、気が遠くなる程の時間と手間がかかる。
それでも、90年代までは、デジタル技術はエフェクトやメカ作画に限られた物が殆どだった。
(一部の作品に関しては、現在のようなセル画を使わないデジタル作業でセル画を使わないアニメもあったようですけど)
デジタル技術による、演出の進歩を観るのに、頭文字Dほど、適したサンプルは無い。
一番最初のシリーズでは、車が3Dモデリングで描かれている事に凄いと思ったが、観ていてイマイチだったのを覚えている。
カーアクションシーンの車が、まるでプラモデルの様に見えた。重量感が無かったのだ。
それが、シリーズを重ねるごとに、デジタルの演出が進歩して、最終的には、ドアの開け閉めや、車からの乗り降りでちゃんと車のサスペンションが上下したり、ブレーキングでのノーズダイブが表現されていて、ちゃんと重量感のある物へと進化した。
それでも、あのアニメは車が3Dで描かれている事だけが、驚きだったし、3Dモデリングが無かったら、不可能なアニメでもあった。
まあ、あのアニメで車が3Dモデリングで描かれている事がおどろきだったのだが、現在はもっとデジタル化が進み、原画までが手書きで、それ以降の作業がデジタルで行われている。凄い時代だ。
だから、現在ではセル画が存在しない。
それ故、セル画コレクターも居なくなった…セル画店って今はどうしているんだろう?なんて、どうでも良い心配もしたりしてみる。
でも、実際に作品で使われたセル画が入手出来たのは、マニアとしては嬉しい事だった。
僕のようなオールドタイプは、本当に恵まれている。
アニメのクオリティがアップして行くのを、リアルタイムで観られたからだ。
特に、劇場版「Zガンダム」でZガンダムが変形するシーンなどは驚愕した。
テレビシリーズ時では誤摩化していたシーンをちゃんと描いた事には、本当に感動した。
劇場アニメ「イノセンス」のコンビニエンスストアでバトーが電脳ハックされ暴れるシーンなんか、デジタルでなければ、無理だ。
店内にある、無数の商品が散らばったり、ガラスが割れるシーンをスローで描いている所なんか、手書きでやったら、アニメーターの5人や10人は死んでいただろう。
元々、押井守監督は、昔からコンビニでのアクションシーンをやりたがっていたが、あのシーンはその念願が叶ったって感じで、観ている方も「おぉぉ!やりやがった!」って感動した。
さらに、初代のマクロスをリアルタイムで観ていた僕には、マクロスFのバルキリーがちゃんとファイター形態からガウォーク形態、そしてバトロイド形態へ変わるプロセスにも感動した。
80年代や90年代では、劇場アニメでしか出来ないようなシーンが毎週放送のテレビアニメで可能になったのは本当に素晴らしい。
俯瞰でのモブシーンなんかも、全然可能になっている。
昔だったら、ボブシーンなんか歩いている人は皆同じ歩調で同じ速度で歩いていたが、いまでは自然なモブシーンが可能だ。
これらのシーンはデジタルが可能にした、デジタルだからこそ可能になった事だ。
アニメーターの負担軽減だけではなく、それまでは不可能だった事が可能になったのは、本当に素晴らしい事で、見る側にとっても喜ばしい事だ。
反面、アニメーターの濃い個性が観られない寂しさも有るが、逆に言えば演出家や監督の意図を完全とは言わないまでも、表現出来ているのだから、監督でアニメを見る僕にとっては、寂しさよりは嬉しさの方が大きいのですけどね!
それは、とても楽しい事でもあり、ちょっとだけ寂しくもある。
職人芸ってのが、観られないのは、やはりちょっと寂しい。
板野サーカスが、誰でも描けるのは、やはり抵抗もある…
でも、アニメファンとして、アニメのクオリティが高いのは、素直に喜ぶ事なのだと思う。
きっと、これからは、デジタル作画の中からも、個性的なアニメーターが出て来るのだろうと思うと、視聴者としては楽しみでもある。
注意
この記事は、僕の記憶だけで書かれているので、細かい間違いや記憶違いなどがかあkレテイタリしますので、そこは優しく突っ込んで下さい!
一々、資料なんか引っ張り出したりしてませんから!
そんな、面倒なことするわけ無いでしょ、仕事で書いてる訳じゃないんだから!
ちなみに、今週はイメージアップ週間として、一人称を「僕」で統一してみます(笑)
つっても、記事の内容で、年齢はバレバレですが…
14年前っていうと、1996年。
新世紀エヴァンゲリオンが放送されていた頃だ。
あの頃が、アニメがデジタル化した転換期だったように思う。
それまでは、現在みたいにアニメ制作にデジタル化が全面導入されていなくて、エヴァのエントリープラグ内のモニター描写がデジタルで描かれているだけでも、凄かった。
エヴァの内部電源の残り時間とか、そういうのが、綺麗でそれだけでクオリティたけぇ!とか感心した。
最近のアニメは、全面的にデジタルが導入されていて、セル画なんて使っていないらしい。
デジタル化もそうだが、最近は本当に作画のレベルが高くて、僕のような者だと、テレビシリーズで毎回ちゃんと作画されていて…たまには紙芝居なのもありますが…キャラ崩れなんてのは、稀にしか無いように感じる。
それでも、若い人は今回は作画崩壊とか言うんだから、どこまでアニメーターに求めてるんだ!って、思う反面、目が肥え過ぎてるなぁって、関心もする。
若い人が、80年代以前のアニメなんか観たら、どう思うんだろう、とか心配になる。
もう、80年代以前なんか、作画監督ごとに、キャラの顔が明らかに違ったりしたのもんです。
でも、それが面白かった。
エンディングのスタッフロールが楽しみでしょうがなかったのです。
本編を見て、今回の作監は、誰々だとか、推理したりしてね。
そのなかで、女の子が可愛いかったのが、…個人的趣味ですが…土器手司だったり、パースがすげぇとか思ったら金田伊功だったり、ミサイルの動きで板野一郎を当ててみたりと、作監ごとに、キャラデザインをギリギリ保ったラインで個性を出していた。
彼らは、作監でなくても、原画担当でも、それと分かる程の強い個性があった。
今は、あそこまで作監によって違いが出る事は無い。
特に、今ではキャラクター総作画監督とか、メカ総作画監督とか、1クールや2クール作品では、シリーズ通して、それぞれの総作監がいるから、特にその傾向が強い。
それは、とても良い事だと思う。
だって、皆がみんな、前出のアニメーターみたいな天才じゃないんだから、作画が安定している事は素直に良い事だと思う。
名作のガンダムだって、作画は本当に酷かった。キャラだって毎回崩れていたし、メカだって、そうだ。ガンダムのシールドは、ガンダムの顔面を描くのが大変だから、シールドで誤摩化していたし、バンクシーンも多かった。もっとも、富野監督は、バンクシーンの使い方が上手い事で有名だが。
多くの人が、ガンダムは劇場版を観ているから、そうは感じてないだろうが、テレビシーズは3クール突入前後に作画の要であった安彦さんが倒れたもんだから、本当に酷かった。
ちなみに、安彦さんの描くガンダムは本当にスタイリッシュで格好良かった。
さらに、その上っていうか、その下を行ったのが、マクロスだ。
再放送時は修正された部分が多いが、初回放映時は、とんでもなかった。
メカはカクカク動くし、完全に止め絵なのに、SEで足音を入れて、アフレコで声を入れて、キャラクターが歩きながら会話していたり、脳内補完しなければ観られないような回が連蔵だった。
まあ、それはそれで話題になったが…
基本、アニメの1~2話は、使用セル枚数が多く使用されていて、視聴者を引き込んで、4話目ぐらいからボロが出始めるのが常識だった。
現在でもそれは、使用原画枚数に制限を決めているスタジオもあるので、その伝統は残っているみたいですけどね。
原画や動画枚数が増えれば、いくらデジタル環境での製作現場でも時間と経費がかかる。
元々、アニメの制作費は他のテレビコンテンツに比べて安い。
それは、手塚治の責任だ。
彼が虫プロでアニメ制作を始めた時に、自分がアニメを作りたかったがために、安い制作費でアニメ制作を引き受けたのが、そもそもの始まりで、その悪い伝統が現在も続いている。
デジタル技術の全面導入は、そんな安い制作費でアニメを作る環境をガラリと変えた。
アニメーターの過酷な作業環境も改善されたし、アニメ自体のクオリティもアップされたのだから、良い事に決まっている。
その反面、土器手さんや、金田さん、板野さんのような、飛び抜けたアニメーターが居ない事に寂しさも感じる。
まあ、そんなマニアックな視点でアニメを見る必要も無いのだが…
もっとも、デジタル技術が使用されたのは80年代にもあった。
1984年のガイナックスの初作品である劇場アニメ「王立宇宙軍~オネアミスの翼」では、エフェクトや、作画にもデジタル技術が使われていた。
飛行機のプロペラが回転するシーンなど、驚いたもんだ。
その頃の常識で、プロペラがゆっくりと回転し始めてフル回転に至るまでのシーンを斜めからのアングルで描くなんて、あり得なかった。
それが、王立宇宙軍~オネアミスの翼ではあった。
あれは、手書きでやったら、気が遠くなる程の時間と手間がかかる。
それでも、90年代までは、デジタル技術はエフェクトやメカ作画に限られた物が殆どだった。
(一部の作品に関しては、現在のようなセル画を使わないデジタル作業でセル画を使わないアニメもあったようですけど)
デジタル技術による、演出の進歩を観るのに、頭文字Dほど、適したサンプルは無い。
一番最初のシリーズでは、車が3Dモデリングで描かれている事に凄いと思ったが、観ていてイマイチだったのを覚えている。
カーアクションシーンの車が、まるでプラモデルの様に見えた。重量感が無かったのだ。
それが、シリーズを重ねるごとに、デジタルの演出が進歩して、最終的には、ドアの開け閉めや、車からの乗り降りでちゃんと車のサスペンションが上下したり、ブレーキングでのノーズダイブが表現されていて、ちゃんと重量感のある物へと進化した。
それでも、あのアニメは車が3Dで描かれている事だけが、驚きだったし、3Dモデリングが無かったら、不可能なアニメでもあった。
まあ、あのアニメで車が3Dモデリングで描かれている事がおどろきだったのだが、現在はもっとデジタル化が進み、原画までが手書きで、それ以降の作業がデジタルで行われている。凄い時代だ。
だから、現在ではセル画が存在しない。
それ故、セル画コレクターも居なくなった…セル画店って今はどうしているんだろう?なんて、どうでも良い心配もしたりしてみる。
でも、実際に作品で使われたセル画が入手出来たのは、マニアとしては嬉しい事だった。
僕のようなオールドタイプは、本当に恵まれている。
アニメのクオリティがアップして行くのを、リアルタイムで観られたからだ。
特に、劇場版「Zガンダム」でZガンダムが変形するシーンなどは驚愕した。
テレビシリーズ時では誤摩化していたシーンをちゃんと描いた事には、本当に感動した。
劇場アニメ「イノセンス」のコンビニエンスストアでバトーが電脳ハックされ暴れるシーンなんか、デジタルでなければ、無理だ。
店内にある、無数の商品が散らばったり、ガラスが割れるシーンをスローで描いている所なんか、手書きでやったら、アニメーターの5人や10人は死んでいただろう。
元々、押井守監督は、昔からコンビニでのアクションシーンをやりたがっていたが、あのシーンはその念願が叶ったって感じで、観ている方も「おぉぉ!やりやがった!」って感動した。
さらに、初代のマクロスをリアルタイムで観ていた僕には、マクロスFのバルキリーがちゃんとファイター形態からガウォーク形態、そしてバトロイド形態へ変わるプロセスにも感動した。
80年代や90年代では、劇場アニメでしか出来ないようなシーンが毎週放送のテレビアニメで可能になったのは本当に素晴らしい。
俯瞰でのモブシーンなんかも、全然可能になっている。
昔だったら、ボブシーンなんか歩いている人は皆同じ歩調で同じ速度で歩いていたが、いまでは自然なモブシーンが可能だ。
これらのシーンはデジタルが可能にした、デジタルだからこそ可能になった事だ。
アニメーターの負担軽減だけではなく、それまでは不可能だった事が可能になったのは、本当に素晴らしい事で、見る側にとっても喜ばしい事だ。
反面、アニメーターの濃い個性が観られない寂しさも有るが、逆に言えば演出家や監督の意図を完全とは言わないまでも、表現出来ているのだから、監督でアニメを見る僕にとっては、寂しさよりは嬉しさの方が大きいのですけどね!
それは、とても楽しい事でもあり、ちょっとだけ寂しくもある。
職人芸ってのが、観られないのは、やはりちょっと寂しい。
板野サーカスが、誰でも描けるのは、やはり抵抗もある…
でも、アニメファンとして、アニメのクオリティが高いのは、素直に喜ぶ事なのだと思う。
きっと、これからは、デジタル作画の中からも、個性的なアニメーターが出て来るのだろうと思うと、視聴者としては楽しみでもある。
注意
この記事は、僕の記憶だけで書かれているので、細かい間違いや記憶違いなどがかあkレテイタリしますので、そこは優しく突っ込んで下さい!
一々、資料なんか引っ張り出したりしてませんから!
そんな、面倒なことするわけ無いでしょ、仕事で書いてる訳じゃないんだから!
ちなみに、今週はイメージアップ週間として、一人称を「僕」で統一してみます(笑)
つっても、記事の内容で、年齢はバレバレですが…