ここ数年点いや、ここ十数年で知り合いと呼べる程度の人間関係を次々に整理した。
いや、もしかしたら整理されたのかもしれない。まあ、どっちにしろ、結果としては同じ事なのだろうけれども。
残った友人関係は、本当に20年以上付き合いのある、親友と呼べる人間関係だけだ。
その数は、両手で数えても余る程に少ない。
さらに言えば、その少ない友人たちにさえ、数ヶ月に一度メールをするかしないか程度の最低限の関係を残したにすぎない。
もっとも、親友というのはその程度の関係性を保っていれば何時でも合えるし、合えばすぐに以前のように友人のまま、コンタクトを取っていない空白の時間が無かったかのように付き合える間柄だと考えているので、それで良いと思う。
それ故、そのような友人は数が限られてくる。だから両手で数えても指が余る。
ニヒリズムを気取った言い方をすれば「雑多な人間関係で煩わされるより、孤独を選ぶ」と、言ったところだ。
それでも、と、考える。
仮に明日、俺が死んだ場合、俺の葬式に参列巣のが親戚を除くと友人が10名以下という、両親や兄弟にはとても恥ずかしい思いをさせてしまうのでは?という負い目を感じる。
だが、それが俺の人生だったのだから、と、両親や兄弟には納得してもらうしかない。
俺はそのとき死んでいるのだから、惨めでも寂しくも恥ずかしくもない。
草葉の陰から胸を張って「これが俺の生き方だったんだよ」と言える。
一般に友達がいないなんて可哀想だ、などと考える方が多いだろう事は薄々知っている。
でも、俺にしてみれば、雑多な友人や知り合いとの人間関係を保ち続けるなんて、どれだけ自分の時間と精神力を無駄遣いしているのだろう、と思ってしまう。
基本、俺は人間が嫌いだ。自分自身を含めて、死滅しても構わないと思う。
なぜ、そう思うかはいずれこのブログに書き残すとして…
知り合いや友人が多いというのは、それだけで疲れる。
もちろん、知り合いが多ければメリットもあるだろう。それは分かっている。
でも、それでもなお、知り合い程度の付き合いを整理した(された可能性もあるが、俺の主観では整理したで間違いない)のは、メリットだけで人間関係を続けるにはあまりにもデメリットが多いからだ。
友人間家にメリットでメリットは求めない。
その友人といて楽しいか楽しくないか。
楽しい奴だけが友人だ。阿吽の呼吸で会話や行動ができる。互いに互いの踏み込んでいいエリアを知っている。そしてそのエリアに踏み込んで来ても許せたり、ひく事ができる奴こそ親友なのだ。
だからこそ、親友は少ない。むしろそんな親友が20人もいる方が不自然だろう。
そんな考えで生きている…行きたくて生きている訳じゃないのだが…俺の葬式に友人が一桁しか来ないのは当然であるが、そんな友人が零でなかったら、俺の人生は幸せだろうな、と考える。
あとは、ネットの所々に、俺が存在した証が誰にもみられる事無く残り続けるだけだろう。
だから、両親よ、兄弟よ、それだけで我慢してくれたたまへ。
いや、もしかしたら整理されたのかもしれない。まあ、どっちにしろ、結果としては同じ事なのだろうけれども。
残った友人関係は、本当に20年以上付き合いのある、親友と呼べる人間関係だけだ。
その数は、両手で数えても余る程に少ない。
さらに言えば、その少ない友人たちにさえ、数ヶ月に一度メールをするかしないか程度の最低限の関係を残したにすぎない。
もっとも、親友というのはその程度の関係性を保っていれば何時でも合えるし、合えばすぐに以前のように友人のまま、コンタクトを取っていない空白の時間が無かったかのように付き合える間柄だと考えているので、それで良いと思う。
それ故、そのような友人は数が限られてくる。だから両手で数えても指が余る。
ニヒリズムを気取った言い方をすれば「雑多な人間関係で煩わされるより、孤独を選ぶ」と、言ったところだ。
それでも、と、考える。
仮に明日、俺が死んだ場合、俺の葬式に参列巣のが親戚を除くと友人が10名以下という、両親や兄弟にはとても恥ずかしい思いをさせてしまうのでは?という負い目を感じる。
だが、それが俺の人生だったのだから、と、両親や兄弟には納得してもらうしかない。
俺はそのとき死んでいるのだから、惨めでも寂しくも恥ずかしくもない。
草葉の陰から胸を張って「これが俺の生き方だったんだよ」と言える。
一般に友達がいないなんて可哀想だ、などと考える方が多いだろう事は薄々知っている。
でも、俺にしてみれば、雑多な友人や知り合いとの人間関係を保ち続けるなんて、どれだけ自分の時間と精神力を無駄遣いしているのだろう、と思ってしまう。
基本、俺は人間が嫌いだ。自分自身を含めて、死滅しても構わないと思う。
なぜ、そう思うかはいずれこのブログに書き残すとして…
知り合いや友人が多いというのは、それだけで疲れる。
もちろん、知り合いが多ければメリットもあるだろう。それは分かっている。
でも、それでもなお、知り合い程度の付き合いを整理した(された可能性もあるが、俺の主観では整理したで間違いない)のは、メリットだけで人間関係を続けるにはあまりにもデメリットが多いからだ。
友人間家にメリットでメリットは求めない。
その友人といて楽しいか楽しくないか。
楽しい奴だけが友人だ。阿吽の呼吸で会話や行動ができる。互いに互いの踏み込んでいいエリアを知っている。そしてそのエリアに踏み込んで来ても許せたり、ひく事ができる奴こそ親友なのだ。
だからこそ、親友は少ない。むしろそんな親友が20人もいる方が不自然だろう。
そんな考えで生きている…行きたくて生きている訳じゃないのだが…俺の葬式に友人が一桁しか来ないのは当然であるが、そんな友人が零でなかったら、俺の人生は幸せだろうな、と考える。
あとは、ネットの所々に、俺が存在した証が誰にもみられる事無く残り続けるだけだろう。
だから、両親よ、兄弟よ、それだけで我慢してくれたたまへ。