は~い、すみませ~ん

最近、ブログサボってま~す(苦笑)←その代わり、「なう」とかで呟いてま~す(;^_^A
てなワケで、久々に更新させていただきま~す。
昨日のことなんですが、ツイッターのTLで、ある物理学者の方が昨年の“3.11”――東日本大震災以降のSFというジャンルにおける想像力に関する本について寄稿を求められたものの、結局お断りすることもなく原稿を落としてしまったことを呟かれていたのを見つけまして、
その方曰く、さまざまな葛藤があって何も書けなかったからで、たぶん「物語性」に対する不信感が原因だったのだろう、とのことでした。
これ読んだときにですね、ちょうど一年前の頃をふと思い出しまして。
あれから、まわりを取り巻く社会や世界の見え方が一変しちゃって、日常が非日常的になってしまったじゃないですか。
GACKさんがいち早く〈SHOW YOUR HEART〉をたちあげて世界中に募金を募ったり、街頭募金を全国展開させていくなかで、特にエンターテイメントを創り出す仕事に関わっていらっしゃるクリエイターの方々はすごく自問自答の日々だったではないかと思うんですヨ。
あれだけの、大きな出来事が起きた今、自分達に今何が出来るのか……
特に、作家さんやライターさん、漫画家さんは特に悩まれたんじゃないかな~って……ね。
ただ、その一方で、「非日常」そのものが大好物で、そういう現実の危険や不安に物語性を見出したがっているようにしか思えない人も一部いるらしいです。
多分、そういう人って「安全」って言葉には非日常性がないから、飛びつかない……下手したら、この非日常が終わって欲しくないと思っているのではないか、と感じることも。
……ひどい話ですけどね( ̄~ ̄;)
今までにも、地下鉄サリン事件や阪神大震災、NY同時多発テロ(“9.11”)等々……絵空事のように思っていたことが実際に襲ってきたなかで、あの村上春樹が地下鉄サリンを消化して、ようやく『1Q84』という作品に到達するまでにあれだけの年月がかかったことを思うとね……本来なら、そういう「非日常」が終わってから、更に長い思索が本当は必要なのかもしれません。
でも、やっぱり、ワタシも含めて、人は「物語性」――ロマンが無くては生きていけないかなって。
昨年、GACKさんがツイッターを始められたのをきっかけに、それまでツイッターをやるか迷っていたワタシは思い切ってアカウントをとってフォロワーとなり、ツイッターを始めました。
それ以降、実にいろんな方々との出逢いが生まれ、なかにはプロの作家さんや漫画家さんとも仲良く交流させていただいております。あ、もちろん、このアメブロでも素敵な方々と交流させていただいてますヨ

昨年、仲良くさせていただいております某漫画家の先生が震災発生後に、ご自身の作品について「今、こんな作品を書くべきなんだろうか」とブログで書かれていらっしゃいました。
その先生の作品、現在も某月刊漫画誌に連載中で、いわゆるSFホラーパニックともいうべき、ディザスター系漫画です。←人気ありますし、面白いですヨ☆
でも、ワタシは先生に言いましたヨ。恐怖や不安を描いた作品であろうと、それを作品として享受している読者がいること、そして、作品のなかに必ず心の琴線に触れるものがあるからこそ、ワタシ達は先生達の作品を愉しみにしながら辛い日々を頑張って生きてるんですヨと……つまり、“エンターテイメント”の持ってる可能性と力を信じてます、と。
勿論、こういう真のプロの方々は先の「非日常」に作品を見出だそうとしてる人たちではありませんよ。だからこそ、悩まれていたんだと思います。
正直、本当にくだらない作品は所詮その程度なんだと思います←お、はっきり言っちまったな(笑)
でも――先にも書かせてもらいましたが、やっぱり何かしら心にグッとくるものがあるからこそなんですよね~。
それは漫画や小説に限らず、映画やテレビ、音楽など……何でもそうだと思いますヨ。
てか、んなこたぁ、当たり前なことですよね(笑)
だから、ワタシは「物語性」に不信感を持ったりしたくないなって。趣味でネットや同人誌等で物語を書いてる立場でもあるので、余計にそう思ったりします(;^_^A
………と、そんなことを真面目にふと思ったり~。
あぁ~、なんか恥ずかしいような。たまに真面目なこと書くと恥ずかしいですね(´ψψ`)
あぁ、どうしよ。
それじゃ――おっぱい!(爆)