「……知りたいなら、てめえで探しやがれ…」





〈皮剥ぎ魔〉の静かだが何処か畏怖を感じさせる問いかけに、あくまでしらをきる黒人の巨漢。

この場合、明らかに知っていても簡単に口を割るはずはないだろう。末端の構成員だろうと、“演出家”に従う忠実な犬どもはそう調教されてきているのだ。



そんな黒人の途切れ途切れの声に突如、静かな異変が襲った。










「……な、何だ?……やめろ……やめてくれ……頼む……」



減らず口を叩いていた黒人の両眼はやがて大きく剥き出され、顔面には汗が滲みはじめたのだ。その分厚い唇から覗く歯はガチガチと耳障りな音を立てていた。

そして、その頑丈な巨躯の輪郭が微かにぶれている。




明らかに震えていたのだ――“何か”に。








否、正確には――“その黒人にしか見えない何か”にだ。






その視線の先には、特に何もない。






ただ一人――


先程から、その狂態ぶりを睥睨するかの如く見下ろしていた、三つ揃いのスーツの人影=〈皮剥ぎ魔〉を除いては。


その左手の指先では、銀色のゴルフボール大の球体らしき物体を二つ、器用に指と指の間に絡めながら弄んでいた。


小指から薬指、薬指から中指、そして人差し指と親指との間へと――まるで、物体に意志があるかのように指の間を縫うように移動してゆく動きはマジシャンの華麗さに酷似していたが…


その動きは見る見るうちにスピードを増してゆく。眼にも止まらぬ程に……




それに従い、だんだん黒人の顔は滴り落ちる汗で濡れ光り、完全に脅えの色に包まれてゆく。焦点の定まらなくなった視線は空中へ注いだまま、呼吸のピッチも異常に速くなっていった。



「我慢しない方がいい――さあ、正直に言え」


静かにそう告げて、煙草の紫煙を黒人の顔に吹き付ける。



「……言えない……た、助けてくれ……うわああぁぁぁ――」











次の刹那、黒人の口から耳をつんざく絶叫が室内にこだました。

普通の奴なら、当分耳に残るだろう。








「図体のでかい割にはこの程度でこれか……“ニガー(黒人)”め」



そうつぶやくと、その人影はそれまで吸っていた煙草を指で弾いた。煙草は、マーライオンのようにだらだらと涎を垂れ流しながら不気味に笑い続けていた黒人のでかい口の中に入っていった。





それにしても――







この〈皮剥ぎ魔〉は黒人に一体何をしたのか?

かなりの精神的ダメージの強い、恐怖を通り越した何かでなければ、こんな発狂などという末路はあり得ない。


しかも、奇妙なことに黒人の周囲にはタールのように溜まった血の海に累々と横たわる仲間の死体しかない。


否、常人なら、確かにこの異常な光景におかしくなるかもしれない。

だが、少なくともこいつらは全員、殺しのプロのはず。こんな光景ぐらいで発狂に至るのは到底考えられない。



黒人にしか見えない“何か”――









その頑丈な精神すら簡単に破壊させるほどのショックが、眼には見えない夢幻の形で襲ったとしか考えられない。





その時だった。









「随分と派手に痛めつけてくれたわね、〈皮剥ぎ魔〉さん」









男の官能を刺激させるような、悩ましい声が〈皮剥ぎ魔〉の背後から聞こえてきた。



遥か向こう側――部屋のドアの前には、この場には相応しくないような常軌を逸した格好の女が立っていた。



黒のレザーハットを目深に被った女の首から下は、同じく黒のレザーレースのブラにショートパンツのみ。
おまけに、肘の辺りまでを覆った黒のロンググローブ(長手袋)に握られていたのは明らかに乗馬ムチだ。

こいつは、まさにSMの女王様スタイル。サディストを絵に描いたような女だ。



なにより、そのスタイルの完璧さ。男のみならず女でさえも思わず見惚れるほどの美しい肉体はプロのモデルどころか、人間離れのレベルだ。

そのレザーハットの縁から覗く美貌の凄まじさ。その紅く濡れた唇の動きは、思わず息を呑むほどだ。




「初めまして――私は、エルザ。コードネームは〈死の舞踏〉よ。伝説の元“演出家”と生でお目にかかれて光栄だわ」


そう告げたエルザに対して、〈皮剥ぎ魔〉の方は全く驚く様子がない。それどころか、エルザの方には背を向けたまま。振り向く気すらないようだ。



「ねぇ――いきなり無視?いい男だからって、何でも許されるなんて思ってないわよね……って、あなた、男?それとも女?」




何をすっとんきょうな質問をしてるんだ、こいつは?








――と、だれもがそう思うだろう。




だいたい、眼前にいる相手が男か女かなんて、想像がつくはずだ。
例え、その顔が見えなくとも、そこから感じる雰囲気、立ち振舞いから想像はつくもの。そいつが仮に性転換していようとも、身体のラインや肉付きを変えていようとも、往々にして何処かに、僅かだが元々ある性の部分がうっすら残っているものだ。声音がその代表的なひとつだ。




だが、先程からわずかに聞こえてきた〈皮剥ぎ魔〉の声は確かに男のようでもあり、同時に何処か女のような妖艶さも感じるのだ。



若いとも、熟年とも、どちらとも感じる年齢不詳の声――




しいて言うなら、宝塚の男役――トップスターの声に近いのかもしれないが……だが、微妙に違うようにも感じる。うまく表現出来ないのがもどかしい。





「そんなに知りたいか?」



振り向かずにようやく口を開いた〈皮剥ぎ魔〉に、




「えぇ、とっても」


麻痺させるような艶やかな声音で応じる〈死の舞踏〉=エルザ。




「だったら、力ずくで聞き出してみたらどうだ」


「ふふ……随分と上から目線の口説き方ね。でも――そういうのも悪くないわ」


そう告げた瞬間――エルザが消えた。








次の刹那、その姿は発狂し横たわる黒人と〈皮剥ぎ魔〉との僅かな空間に移動していた。テレポートのような高速移動だ。







だが、驚愕させられたのはエルザの方だった。








ようやく、謎に包まれていた伝説の最凶最悪の元“演出家”――その、誰も見たことが無いと言われる素顔を、しかも肉眼でついに見ることが出来たと感じたのに……




完璧さを誇る自慢の超高速移動で奴の眼前に回り込んだはずが、その視界に拡がっていたのは――先程と同様、奴の後ろ姿だったのだ。




ばかな。悟られていたのか!?――あのスピードからして視認出来るはずなどない。








いったい何者だ、こいつは――?

















「やるわね、あなた……」


「世界を知りたくば、眼を閉じろ」


「…はン?」


「見せかけの、外側の世界に惑わされてる限り、何も見えないということだ。常識なんてものは単なる思い込み、あるいは過去の歴史が生み出した勝手な価値判断か因習的思考だ。それを己のよすがとするような奴らは所詮、ほんの近くのものしか見えない眼鏡をかけて、それで一生を過ごすようなもの……それは一見、賢明な生き方のように思われがちだが、結局は怠惰で愚鈍な生き方でしかない。真実を見極めたいなら、たとえあり得ない事でもあらゆる手段と能力を駆使して臨むことだ。眼に見えるだけが世界じゃない。お前も〈グレート=ギニョル〉のメンバーなら、それぐらいは覚えておくんだな」


「なるほどね……そうやって、今まで大勢の人間の身体と心をかっさばいて、恐怖を引き摺り出して来たわけね。さすが、元“演出家”。勉強になったわ、先輩」


相変わらず背を向けたままの〈皮剥ぎ魔〉にそう告げたエルザだが、



「でも……悪いけど私、調教は好きだけど、説教は実は嫌いなの」


「そうか。なら、仕方ないな」


「それにあなた、どこか気味が悪いのよ。やっぱり、あなたはそのままでいいわ。そのままの姿で……私がゆっくり逝かせてあげるわ――あの世にね」


エルザがそう言うや否や、自らの豊かな胸の谷間に左手を差し入れ――そこから、一本の金色の円環を摘み出した。



口紅(ルージュ)ケースだ。



その蓋を開け、唇に塗った。そのしぐさを見てるだけで、刺激的な興奮を感じるだろう。


その濡れ光る唇を軽く二、三度結んで作業を終えた――次の瞬間、







その唇は妖しく開花した花弁の如く、ゆっくりと青白い光を放ち始めたのだ。



と、同時に――







それに呼応するかのように、周囲に横たわる男達の死体全てが、なんと自ら立ち上がり始めたのだ。



ゆっくりと起き上がったその不気味さ、そしてあちこちを血で染めた凄惨さと蒼白い顔。死魚の如く、白く濁った眼。まさに、昔テレビで観たホラー映画――“ゾンビ”だ。



「その口紅が、お前の“指人形(ギニョル)”らしいな…つまりは、死人使いか。なるほど」


相変わらず、顔を見せない〈皮剥ぎ魔〉。その言葉は、まさにそちらを振り向かなくても全てお見通しだと言わんばかりの嘲笑に彩られていた。





そもそも背を向けていながら、どうやって見てやがったんだ、こいつは?







「“死人使い”だと…?」


その〈皮剥ぎ魔〉の言葉に一気に怒気を孕ませたエルザは、









「ジス・ヘテロ・セクシャル・ビッチ!!(この両性具有野郎!!)」


その眼の奥に、ついに血色の炎が点った。まさに、サディストの真性だ。








そして、新たなる虐殺の時間の始まりだ。