ムラサキの恩師 | びっくりするほど上手くなった!名古屋のバッティングスクール「Count23」

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小学生・中学生などの少年野球選手がチームで活躍するための技術向上を目的とした野球スクールです。バッティング、ピッチング、キャッチボールなど多彩なコースでチームの中心選手に育てます。


コーチの名和です。

先週は、恩師の元愛工大名電高校野球部監督の中村監督の

古希(70才)のお祝いで、一部のOBが集まりました。



私が高校生の頃、中村監督はまだ30代半ばで血気盛んな頃でしたが

もう70才とは、時が過ぎるのが早く感じます。



70才といえども、現在も吉良高校でアドバイザーという

立場で野球部の指導をされています。



今でもグラウンドに出ると、私が現役だった頃と同じくらいの

大声でゲキを飛ばし、熱血で指導されています。




グラウンドに出てさえいれば、100才以上生きるのでは

ないかという勢いがあります。


還暦は赤のちゃんちゃんこを着せてお祝いするのですが、

古希はムラサキのちゃんちゃんこでお祝いするそうです。



中村監督は、嬉しそうに良い顔してますよね。


愛工大名電高校を60才で定年され、その後、豊田大谷高校で

5年間指導し、最後の年は古巣の愛工大名電野球部を決勝で破り

優勝しました。


豊田大谷高校は赤のユニフォームでしたが、やはり中村監督には

名電カラーのムラサキがよく似合います。


扇子を持ち、私たちからの贈り物であるムラサキのノックバットを

持ったこの姿は、七福神の一人みたいじゃないですか?




今回のお祝いメンバーです。


中村監督が就任された頃の選手から、イチローより年下の

幅広い年代の選手が集まりました。


私は40を過ぎていますが、このメンバーの中では若手の方で、

年代が下の者は最前列で正座です。


7時からお祝いの宴会が始まり、10時までの3時間、懐かしい顔ぶれで

大変楽しい時間を過ごしました。


私は中村監督とは頻繁に会っているので、先輩や後輩たちと

話してばかりいました。


その中でも、今回お会いできるのを楽しみにしていた

浜本さんという先輩がいます。


この先輩は私の中学時代の先輩で、私が名電に入るきっかけを作って

くださった方です。


浜本さんがいなければ、愛工大名電野球部の私はいなかったと思います。


私は知立市の竜北中学出身で、野球部の先生は以前ブログで紹介した

酒井先生が監督を務めていました。


酒井先生の指導で、浜本さんが一人目に愛工大名電高校

(当時は名古屋電気高校)に入学しました。


その2年後に中村稔さんという先輩が浜本さんに誘われて

愛工大名電高校に入学しました。


その2年後に私が中村稔さんに誘われて愛工大名電高校に

入学しました。


このような流れで私たちの中学から愛工大名電高校に入学して

いったわけですが、私の次に入学した選手はいません。


私の素行が悪く、その後の選手が入学させてもらえなかった

わけではなく、野球部の先生が酒井先生から別の先生に代わり、

良い選手が育たなくなったのです。


私たちのルーツとなった浜本さんは、愛工大名電高校を卒業後、

愛工大に進み、その後、社会人野球チームの大仙に進まれました。


私もその大仙にいて、浜本さんとは中学から社会人まで同じチー

ムに所属していたことになります。



私は大仙で野球部を退部したと同時に退社してしまったのですが、

浜本さんは今でも大仙でエリートコースばく進中です。



私は久しぶりに浜本さんと夜中までお話しでき、大変楽しい時間を

過ごしました。


私にとっては実の兄貴より兄貴です。


中村監督お祝いでしたが、懐かしい方とお会いできたことが

すごく嬉しかったです。


中村監督の指導でプロ第1号の西武にドラフト1位で入団し、

西武から巨人に移籍して活躍した鴻野淳基さんも

いらっしゃっていました。


朝まで会話が尽きない、楽しい一晩を過ごしました。


たった2年半の野球部合宿生活でしたが、

親父の監督中心に、先輩の兄貴たち、後輩の弟たちとの

強い絆を感じた一晩でもありました。


また、このような集まりができるように、中村監督には長生きして

もらわなければいけません。