コーチの玉川です。
工藤さんと過ごした高校時代のエピソードを紹介しています。
楽しんでいただけたら幸いです。
前回、工藤さんが河合奈保子さんの大ファンだった事を
ご紹介しました。
今回はもう少しそれにまつわる楽しいお話しをしたいと思います。
当時の名電合宿所の生活は、今とは違いまずは
ジュースもお菓子も全て禁止でした。
夜の練習後の夜食は、全員に出るパンと牛乳だけです。
当然それでは足りませんから夕食で残った、と言うより必ず残るように
多めにご飯を炊き、それをおにぎりにして夜食にします。
残ったおにぎりは、先輩が食べなければ一年生が責任を持って
すべて食べないといけません。
残飯で米を捨てると、現野球部長で当時は寮長だった
織田先生にこっぴどく叱られました。
上級生はおにぎりを食べなくても、だいたいは一年生に
名電野球部名物のメイデン・チャーハンを作らせて食べる事が
多かったのですが、基本的にはそんな物しか間食は食べれらません。
飲み物は上級生がお茶、一年生は水道の水しか呑めませんでした。
当然ですがゲームも携帯もありません。
電話も禁止です。
テレビは食事の時のみプロ野球を見る事が許されていました。
と言っても、上級生になるとちゃんと見張りを付けて、
監督さんにばれないようにテレビを見る人もいましたが・・・・
とにかくそんな生活でしたから、私達の唯一の楽しみは
マンガと流行りのアイドルの雑誌でした。
そしてお気に入りのアイドルの水着のポスターを自分の部屋に
貼るのが、上級生になった時の楽しみのひとつでもありました。
当然、工藤さんも河合奈保子さんのポスターを貼っていたんですが・・・
これが思わぬ事になりました・・・
先に河合奈保子さんの名誉のために確認しておきますが、
当時河合奈保子さんの人気はかなりのものでした。
純粋で控え目なキャラとやや不釣り合いの魅力的なボディーが
多くの若者を虜にしていました。
ですが、たまたまこの当時のセンパイ方は何故か同じく
当時の国民的アイドルの松田聖子と榊原郁恵さんが人気があり、
河合奈保子さんのファン、つまり工藤さんの仲間が
ひとりもいませんでした。
そのため、工藤さんの部屋に遊びに来る先輩方が皆さん、
「えっ河合奈保子! こんな田舎者~ ? ちょっと暗いよな。」
あげくは
「こんなデブがいいんか!」
などとおっしゃる失礼な先輩もいました。
工藤さんは、孤軍奮闘で戦っていました。
「あほ!! 田舎者じゃなく純粋なだけだお前ら解らんのか!出てけ!」
「 デブじゃねえだろ!こう言うのをグラマーって言うんだ!出てけ!!」
次々に工藤さんを冷やかしに来る先輩方・・・
工藤さんもヒートアップし、
「松田聖子?あんなひらめ見たいな女どこがいいんだ!」
となっていました。
まぁ私は後輩なので
「またやってるな・・・」
くらいにしか思っていませんでしたが、ある日マッサージをしてる時です。
工藤さんが、
「あいつらぜんぜん解ってねぇな~、なぁタマ。お前はどう思う? 」
「はい、僕はいいと思います。」
と答えると、
「そうだろう~」
と嬉しい顔・・・
私は後輩なんで否定する訳がないのですが・・・
そして聞かれてしまいました・・・
「タマ、お前は誰か好きな奴おるんか? 」
私は正直に答えてしまいました。
「・・別に居ないです」
と言えば良かったと今も後悔していますが・・・
「はい、僕は柏原芳江がいいです。」
と答えてしまいました。
工藤さんは、あの丸いかわいい瞳を一層見開き。
「柏原芳江~・・ふ~ん、まぁ俺は解らんでもないぞ。」
と言って、しばらくは黙ってマッサージをされていましたが、
突然思いついたように、
「よし!!俺が許す!!お前も柏原芳江の水着のポスターをは貼れ 」
とおっしゃるのです。
私は本来は
「はい」
しか言ってはいけませんがさすがに・・・
「あ・・え・・・一年生の私がそんな事をしてはいい訳がありません。」
私が返事に戸惑っていると、工藤さんは
「いいから貼れ!解ったか!」
とおっしゃるのです。
私は、「はい」と返事をするしかありませんでした。
かくして当時のメイデン野球部合宿所13号室、通称工藤部屋は
河合奈保子さんと柏原芳江さんの水着のポスターが貼られました。
これが私にとって、とんでもない災難に・・・・
つづく・・・・