コーチの玉川です。
プロ野球で200勝を挙げた、工藤さんと思い出の試合の連載です。
工藤さんがデッドボールを受けて退場した後、しばらくは
罵声が飛び交い、異様な雰囲気だった球場でしたが、
それもしばらくするとややおさまりました。
何故なら中断があまりに長かったからです。
ともかく工藤さんは救急車で病院に向かい、残ったメンバーで
この試合を戦う、誰もがそう思っていましたし、
それしか考えられませんでした。
しかしそれにしても長い、30分を過ぎても監督さんや審判の方達が
グラウンドに出てくる気配がありません。
ベンチ前でキャッチボールや素振りをしていた両チームの選手達も
一旦ベンチに戻り静観していました。
心ない観客が、
「何してんだ!早くやれ!どっちみち工藤がいなきゃ名電の負けだ!!」
そんな罵声を平気で言っていたオッサンがいました。
いつの時代も本当に寂しい人間がいるものです。
しかしながら私達は、あまりの試合中断の長さに
不安が大きくなる一方でした。
工藤さんの身に何かあったのか・・・
意識を失ってるのか・・・
色々な事が頭の中を交差し、ベンチは無言でした。
そして40分ほどたったでしょうか・・・
中村豪先生が鬼のような表情でベンチ裏から現れました。
少し強い声で
「 よし、やるぞ!」
私達は全員
「はい!」
と声を揃えて立ち上がりました。
その後でした。
工藤さんが現れたのです。
タオルで顔を押さえ、血塗れのユニフォームで、
でも自分の足でゆっくり歩いて出て来ました。
「 くっ工藤!!」
先輩方が一斉に駆け寄りました。
「大丈夫か!目!見えるんか!」
人間は本当に驚くと単純な言葉しか出て来ません。
工藤さんは一通り先輩方の声を聞いた後、低く強い声でいいました。
「大丈夫だ!」
大丈夫な訳はありませんでした。
右目は紫色に大きく腫れ上がり、僅かに開いている目から
涙が流れていました。
ちょうどヘビー級のボクサーが、目に何発もパンチを
食らったような状態です。
大丈夫な訳はありません。
そんな事は工藤さん本人が一番わかっていたと思います。
大丈夫なんかじゃない、それでも戻って来た。
「それ以上聞かないでくれ。」
工藤さんのそんな心の叫びが聞こえたような一瞬でした。
試合は再開され名電の攻撃が始まりましたがこの時、
ベンチに工藤さんが戻っている事はスタンドの人達は
知りませんでした。
残念ながらこの回も名電の攻撃は0点でした。
いよいよ工藤さんがマウンドに向かいます。
工藤さんは自分のユニフォームを脱ぎながら
「タマ!ユニフォームを貸せ!」
そう言って、私の背番号17番のユニフォームに
着替えました。
そしてタオルで顔を押さえながらマウンドに迎いました。
工藤さんがマウンドに上がる事をアナウンスされると
やや静寂していたスタンドは再び悲鳴と声援が交差しました。
この時ベンチでは中村豪先生と野球部長が何やら話し合っていました。
しかしながら中村豪先生が
「 あいつが納得するまでやらす!投げさせるんだ!」
と、一喝で部長は黙りました。
恐らく「大丈夫なのか?」というお話しだったと思います。
工藤さんの目にもしもの事があれば、学校側は大変な責任を
問われる事になります。
しかし中村豪監督は工藤さんを投げさせる決心をしました。
この件は大事なポイントなので、後々ゆっくりと
お話ししたいと思います。
工藤さんがゆっくり投球練習を初めました。
主審の方が「工藤君、肩が出来るまで投げていいよ!」
と声を掛けましたが工藤さんは「大丈夫です。」と答えました。
そして試合が始まりました。
工藤さんの魂の投球の始まりでした・・・・・