はじめまして。
8月1日よりCount23のメンバーに加わった
木野村 睦(キノムラアツシ)と申します。

この度Count23のブログ水曜日担当に任命して頂きました。
ブログを始めるにあたり、自己紹介とまとまりのないことを書かせて頂きます。
木野村睦とは…
1984年2月15日福島県郡山市生まれ、松岡修造に憧れを抱く27歳みずがめ座です。
既婚で1男の父でもあります。
小学校から社会人野球まで16年間選手としてプレーし、
高校は白鴎大足利高等学校(旧:足利学園)に進学しましたが、
甲子園に出場はできませんでした。
同校は足利学園時代に2度、校名変更後に1度甲子園に出場しています。
大学は上武大学に進学しました。
在学中には北海道日本ハムファイターズの菊池和正投手、
横浜ベイスターズの加賀繁投手、
阪神タイガースの石川俊介投手とともにプレーしました。
大学時代は全日本大学野球選手権、
神宮大会にはレギュラーとして合わせて5回出場しました。
1993年のリーグ戦1回大会から始まり、
2011年までのリーグ戦37回中21回の優勝実績のある大学です。
私はレギュラーとして出場できた大会での成績は選手権ベスト8、
神宮大会ではベスト4でした。
当時、関甲新野球リーグとしての最高順位でした。
(現在は神宮大会準優勝が最高順位で、現中日ドラゴンズの松井雅人選手
が在学中の神宮大会準優勝がリーグとしての最高順位です。)
大学時代はレギュラーをとるため、夜中の3時くらいまで練習することもありました。
私たちが入学する前には、先輩たちが
「神宮にいけるならどんなことでもする」
と言って練習を朝方までやり、
グランドに寝て同じユニフォームで、
朝の9時から練習するという選手もいたと聞いています。
それに比べ、私の努力なんてちっぽけなものですが、
他人より何倍もの努力をしなければレギュラーは取れません。
監督・コーチが決める練習メニューだけではなく、
選手間での意見を出し合って練習メニューを決めさせて頂いてたので、
責任感をもって練習をしていました。
大学選手権出場のため、選手権の宿舎に行く当日、
移動するためのバスが迎えにきているのを帰ってもらい、
出発日を1日遅らせて走塁練習、
狭殺プレーの確認をする徹底ぶりでした。
社会人野球はセガサミー野球部の創部1年目のメンバーとして入社しました。
スタッフは元ヤクルトの青島健太監督、
元西部ライオンズ-ダイエーなどで活躍していた佐々木誠コーチ、
元中日ドラゴンズの辻本弘樹コーチがいました。
現役選手では、オリックスの宮崎祐樹選手、
北海道日本ハムファイターズの斉藤勝投手が在籍していました。
社会人時代には都市対抗に2度出場することが出来ました。
都市対抗が行われる東京ドームでの試合では、
大歓声の中でのプレーは緊張のあまり、
私のセカンドのポジションから見るファーストが米粒程に小さく見えて
「ファーストまで送球届くかな」
と思うくらいの緊張感で、思い出すだけで身震いします。
野球を始めたのは中学の時で、転校してきた友人が
「野球部に入りたいんだけど…一緒に入らない?」
のお誘いがあったのがきっかけです。
体が弱く、喘息だったので続けられるか不安だったのと、
友人の…一緒に入らない?の間を今でも鮮明に覚えています。
私の持ち味は、野球の上手い、下手が関係ない
「全力疾走」「カバーリング」「元気をだす」
の誰にでも出来て、スランプなどとは
無縁のこの3つを精一杯やる。これが私の持ち味でした。
野球をしていた時に考えていたのが、
周りの選手が妥協してやらないことをする。
重い道具の片付けや持ち運びなど、皆がやりたくないこと
を率先してやる。
そうすればきっと誰か(野球の神様、キャワウィー女の子)が
見ていてくれるし、自分にチャンスが来ると信じて野球に
取り組んできました。
野球の技術的なことよりも、そんなことを考えている時間の方が多かったです。
自分のことだけしている選手が、試合でヒットを打とうがホームランを打とうが、
ベンチの盛り上がりに欠けるようなことは多々ありました。
逆に、チームの為に動いてる選手が代打で出場し、
ファールで粘って四球で出塁でも大変盛り上がり、
ベンチに一体感がでるくらいでした。
野球は個人競技じゃないです。
自分を犠牲にする心が必要になってくると思います。
最後に、感謝の気持ちを持つのは当たり前なことだと思います。
しかし見返りを求めてはいけない。とよく言われますが、私は
「これだけ皆がやりたくないことをしてきたんだから
神様チャンスくれよ!」
とか
「今辛い思いをしておけば、いつか報われる!」と思いながら
野球人生を過ごしてきました。
社会人としてプレーしたのは3年間で実力はもちろん、
怪我などで野球を引退して、野球の道は諦め営業の仕事していましたが、
インターネットでCount23バッティングスクールのホームページを見つけ、
「私が生きていくのはここだ!!」
と感じ、名和さんに採用のアプローチしました。
そして、Count23に採用して頂き、
妻と1才の息子と共に、愛知県に移住して参りました。
名和さんとの面接は、結婚の挨拶と同じ位の緊張感の面接で、
「お前みたいな奴はいらん」といったような雰囲気でしたが、
結果的に採用して頂き、
出勤した日にはとても暖かく迎え入れてもらいました。
怪我ばかりの野球人生でしたが、
大好きな野球を元気いっぱいにできる体で産み、
育ててくれた両親、
下手くそで飲み込みの悪い私に指導し続けてくれた指導者の方、
私のくだらない冗談、行動にいつも笑ってくれた野球部の仲間たち。
そして、野球から離れて死んだ魚の目をしていた私に、
再び野球に関わる仕事を選ぶことに理解を示し、
住み慣れた土地を離れて私と一緒に愛知に来てくれた妻と息子(1才)に
私を生き返らせてくれた感謝の気持ちでいっぱいです。
野球を教えるために地元を捨て(!?)
愛知県にやってきたので、1日でも早く愛知県の色に染まり、
熱い気持ちで子供たちの指導にあたりますので宜しくお願いします。
文章能力が無く酷い初ブログですが、成長していく私に注目して下さい!
いつか、タメになったな~。
と思って頂けるようなブログを書きます。
きっと書けるようになると思うので、
暖かく見守って頂けたら幸いです。
このブログを読まれた方は、私へのご意見や応援のコメントなどいただけると
大変嬉しく思います。
今後の目標は27歳ながら「なう」という言葉を使い始めることです。
木野村 睦を今後ともよろしくお願いします。