昨日は久しぶりに母校の
愛工大名電高校 硬式野球部グランドに行ってきました。
倉野監督に話しがあり、約1年ぶりに会ってきました。
昨日の愛工大名電野球部は、夏の甲子園予選に備え
瑞穂球場を借りて練習に行っていました。
私は早く着いてしまったので、野球部の皆の帰りを待つ間、
懐かしいグランドとベンチを見て回っていました。

センターのフェンスには
「全国の頂点に立つ練習を」
という文字が、スクールカラーのムラサキで書いてあります。
私たちの時もそうでしたが、
目標と意識は甲子園出場でなく、
「全国制覇」でした。
練習中にミスをすると
「そんなことで甲子園で勝てると思うのか!!」
というゲキの中、しごかれていました。

レフト側に高く張られたネットは、
現楽天イーグルスの山崎武司が愛工大名電の選手だったとき、
堤防を走る車を直撃する打球を飛ばしていたため、
事故防止のために張られた
「山崎ネット」です。
土手を直撃する打球くらいなら普通の選手でも
良くありますが、土手越えを連発する選手はまずいません。
私も3年間で2,3回は土手越えのホームランを打ったことはありますが、
ほとんどは土手直撃弾でした。
プロ野球でホームラン王になった山崎武司はすごい選手です。
ベンチに座ってみて過去の景色と違うことに気が付きました。

マウンドとホームベースの位置が
私たちの時と違うのです。

レフトポールの距離表示を見ると
95mになっていました。
私たちの頃は、ホームベースからの両翼が91mでした。
マウンドをバックネット寄りに移動させ、
外野フェンスまでの距離を伸ばしたようです。
選手時代は、
中村監督から一言
「ポールダッシュ50本いけー!!」
という鬼のような指示が出て、
選手のみんなで
「マジか・・・」
「死ねってことか??」
と、監督、コーチに聞こえないように呟いていました。
90mの距離を50本もダッシュしたときのつらさときたら・・・
下級生はもちろん、上級生だろうと手抜きは許されません。
このような懐かしい思い出が次々と思い出されました。
ベンチの後ろを見ると、

中村監督が作ったもので、
中村監督時代の卒業生の一人一人の名札が張ってあります。
私の名前も・・・・

字が違うんですけど・・・
あれほど直してと言ったのにそのままのようです。
しょせん私は、字を間違われるような存在感なのです。

名札の上には
中村監督の座右の銘である
「啐啄」の文字を刻んだプレートがあります。
「啐啄」は「そったく」と読みます。
その意味は、
鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、
殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。
これを「啐」と言います。
そのとき、すかさず親鳥が外から殻をついばんで破る、
これを「啄」と言います。
そしてこの「啐」と「啄」が同時であってはじめて、
殻が破れて雛が産まれるわけです。
これを「啐啄同時」と言います。
これは鶏に限らず、
師匠と弟子。
親と子の関係にも学ぶべき大切な言葉です。
「野球を通じた人間作り」
「人生のレギュラーを目指せ!」
中村監督はこのような教育理念で指導していました。
愛工大名電高校 硬式野球部グランドの1塁側ダッグアウトには
あの当時のままの状態で懐かしかったです。
来月から夏の甲子園予選が始まります。
昨年は古豪復活で中京大中京高校が全国制覇をしました。
この夏は愛工大名電野球部に頑張ってもらいたいものです。
あなたも一緒に野球をしませんか?
Nagoya23バッティングスクール Count23
詳しくはこちら!!
ケータイはこちら!!