ジブリアニメは『生きる』がテーマだった。最近ヒットした『君の名は。』は臨死体験がテーマだった。
どの時代も『生きることへの苦悩』がテーマになっていくものだが、現在の“生きとし生けるもの”は『心の居場所』を見失っている。
乱暴な言い方をすると、“生きる→死”というベクトルに向かっていっているように思う。それは日本の先行き不破、未来に対する不安、希望無き明日、などから見えない暗黒風潮が世間の根底に漂っているからだと思われる。
日本はモノをつくることから成長する経済で支えられ、モノに心の居場所を求めていた。しかし、現在はシャープもソニーも東芝も業績が悪化。
この企業が日本全土の経済風潮を代表するように、モノに求めた日本人の心の居場所はもうない。
当然、モノに求めた心は彷徨い、無意識的に臨死体験に引き寄せられていく。
日本人は次時代『心の居場所』を探しているのだ。
当然、この社会において『心の居場所』を探せなかった者は心が病んでいく。
心が病んでいけば病院という居場所が用意されるだろう。しかし、病んでいない人の『心の居場所』は現在ない。
欧米など生活に宗教がベースにある社会では『心の居場所』はあるのだが、日本においての宗教は特殊な角度から見られている現実がそこにある。
日本において『心の居場所』を宗教と断言しなかったのはその理由からだ。
ならば『心の居場所』を提供する理由はそこにあるはず。
心が病んだ人から、“『心の居場所』を求めている心が病んでいない人々”へ。
臨床心理学が人々の心を楽にするはず。『心の居場所』はもうソコにあるはずだ。