ずばり、「普段、自分らしく生きているか・いないか」だと思います。

 

愚痴といっても色々あるとは思いますが、ここではとりあえず人間関係で揉めたときを例に。

だけど、どの愚痴も不満も結局は「自分らしく生きているかどうか?」に尽きると思います。

なぜなら私たちにできることは、極論それしか無いからです。

そして、そこから自分以外の誰か、何か、世界を理解することに繋がるのです。

 

 

人間関係(リアルでもネット上でも)仲良くしていた人と揉めたり、「裏切られた」と感じるようなことってありますよね。

噂を耳にすることもあるでしょう。

 

このときに、愚痴を言いふらしちゃう人と、そうでない人といます。

私は基本「お互い様」の精神で良い時も悪い時も捉えるので、必ず両者おなじだけ言い分があるはずなのに「何か」あったときに違いが出るのです。

 

この違いは、普段「自分らしく生きているか?」「自分で自分のことを認めていられているか?」です。

 

自分らしく生きる=個性的に生きる

 

ということです。

 

個性的であるということは、好き嫌いも分かれるということです。

 

 

愚痴を言う人は普段人に合わせて自分を抑えて生きています。

少しの我慢やストレスも何か月、何年となると大きなストレスとなっています。

そんなつもりはなくても。

 

そんなつもりじゃなかった「普段のストレス」が、その人と揉めたことが「きっかけ」で表に現れただけなのです。

揉めたから嫌いになったわけじゃなくて、仲良くしていた頃から実はそんなに相性が良かったわけではないのです。

 

こういうことに気づいていくこと、人を通じて「自分を知ること」これこそが人間関係の目的だと思います。

 

うれしいご縁はもちろん、時には喧嘩したり、ご縁が離れたり・・・

 

 

そのどれもが自分を知るためにあるものだと理解して、きちんと幸せになって、未来につなげていけるのだとしたら

全ての出会いに感謝することができるでしょう。