母は3年前に他界しました。

 

母は30代の頃、C型肝炎にかかり、それ以来ずっと肝臓を患っていました。

肝臓を患うと体力的に疲れやすくなり、肝臓での代謝が悪いために老廃物の処理能力は徐々に低下し、足がつったり、むくみ、肌のかゆみなどの症状が出ます。

 

それでも他界する3年ほど前までは自分でいろいろ出来ていたのですが、医師から自力での運転を禁止(肝性脳症で意識が急になくなる可能性もあるため)されてからは一人での外出も難しくなりました。

その頃、実家から出ていた私も実家に戻り、母親の様子をみるようにしていました。

 

ある時、母が肝性脳症を発症し、救急車を呼んだ時、その時の母はまるで動物のようでした。

言葉は通じず、動きを止めようと押さえた父親の腕にかみついていました。

救急車に何とか乗せ、かかりつけの病院に搬送してもらったあと、目も虚ろな母は何もしゃべらず、ただベットから降りようとしていました。

ベット柵に足が引っ掛かり降りられないのですが、降りられないとわかると足を戻します。

しばらくするとまた同じ作業をして降りようとして降りられない…の繰り返しで、壊れたおもちゃのような感じです。

意識のない母は「母の形をしたもの」で、肉体は単に肉でしかないのだと思いました。

しばらく入院はしましたが、その時は薬も効いて、母の肝性脳症の症状も治まり意識を取り戻すことができました。

 

それから徐々に母の足のむくみもひどくなり、一人で動くことも難しくなっていきました。

晩年ではせん妄症状なのか、被害妄想が強くなり、幻覚や幻聴、被害意識からくる話の整合性を欠くストーリーの創造などがひどくなっていきました。

 

それでも本人にとってはその被害妄想は真実であり、家族のだれも理解してくれない事に深い悲しみとやるせなさを覚えていたようです。

母の死後、母のパソコンから

「家族は誰も私の言うことを信じてくれない。

 こんなに辛いのに、闘病生活が長いせいもあって

 誰も私の体のことをあまり気にかけてくれない。

 神様、どうかこの辛さから救ってください。。。」

という文書をみつけました。(家族にはその文書があった事は伝えていません)

 

もちろん気にかけていなかったこともなければ、できる範囲の介護はしてきたつもりですが、母にはこちらの想いは通じておらず、また母の気持ちも私たちにはすべてが届いてはいなかったのかもしれません。

 

近いからこそ通じない想い(当たり前になって見えなくなるもの)もあり、こんなに近い肉親同士であっても、人がお互いに理解しあうことの難しさを経験させてくれた出来事でした。