場面緘黙の原因 | 小さな海のたからもの(場面緘黙と適応障害)

小さな海のたからもの(場面緘黙と適応障害)

場面緘黙経験者です。
場面緘黙は克服しました。

場面緘黙の原因は、まだ研究段階のようですが、生まれもっての不安になりやすい気質(性格というよりは、脳の扁桃体が過敏だという体質みたいなもの)がベースにあって、それプラス、緊張する出来事、不安を感じる出来事、環境の変化など複数の要因が影響して発症するのではないかと言われています。

 

では、原因に「話すこと」「自分の声」などは、関係していないんでしょうか?

関係しているケースも結構あると思いますが、「必ず関係している」という話も聞かないような気がします。

 

人前で話すときに声がうわずってしまった、うまく口が回らなかった、声が小さくて聞こえないと言われてしまった、ということがきっかけということはあるようです。

 

何らかの障害があって話すことが苦手だったり、吃音がある場合などは、そういうことが原因の一つになるんじゃないかと思います。

 

それだけが原因ではないにしても、原因の一つとしてそういうことがあるなら、声を出せなくなってしまう原因としては、わかりやすいです。

 

でも、そういう明らかな発話に関する原因がない場合もあるような気もします。

 

が、もしかしたら、ないわけではなく、本当はみんなあるんじゃないかという気もします。

 

他人から見てもわかるような明らかな原因がなくても、声が高い、低い、変な声のような気がする、というような本人だけが感じている劣等感が原因となっているとか。

 

声ではなく、自分が話した後の相手の反応が怖くて、話すことが怖い、話すのが嫌、というような気持ちが強いことが原因だったり。

 

もしかしたら、場面緘黙になる子は、自分が話すのを聞かれたり、見られたりすることが嫌だというような「話すのが嫌」「話さないほうがいい」という気持ちを必ず持っているってことはないでしょうか?

 

声を聞かれるのが嫌、話すのが苦手などの「声」「話す」ということへの劣等感というものが必ずあるとは言えないでしょうか?

 

発症後は、克服しようとしても「話したら何か言われそうだからしゃべれない」「声を出す勇気が出ない」という感じになると思いますが、発症前の気持ちとしてはどうなんでしょう?

 

自分自身で「しゃべらない」という選択をするわけではないのは確かです。

場面緘黙は「しゃべれない」状態になります。

 

けど、発症前から、気持ち的に「話すのが怖い」「話すのが嫌」という気持ちを持っているものなのかどうか?

 

それがちょっとよくわからないです。

 

場面緘黙の発症は5歳未満が多く、診断されるのはもう少し遅いことが多い気がするので、発症時の気持ちを本人から聞くことは難しいんじゃないかと思います。

 

覚えていないということもあるだろうし、心当たりがあったとしても、それを言うのは恥ずかしかったり。

 

ただ、場面緘黙は、話せないのは特定の場面だけで、学校では話せないのに近所の子とは話せるということもあります。

 

話せないだけではなく、トイレに行けない、給食が食べられない、体育ができないなど、身体が動かなくなることもあります。

 

必ずしも「話す」「声」が問題というわけではないのか?

 

わかりませんね。

 

でも、複雑な要因が絡み合っているというか、その子、その人にとっての嫌だと感じる気持ちや、強い不安で行動が抑制されてしまう状況、しゃべれなくなる状況というのがいろいろあって、それがたくさん集まってしまう場面で場面緘黙の症状が出るのかな?という気はします。

 

その要因の中に話すことへの怖さ、声の劣等感みたいなものが必ずあるのかどうか、それがわからないんですが。

 

あるとしても、それだけで場面緘黙になるわけではないですけどね。

 

 

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