場面緘黙とアイデンティティの欠如 | 小さな海のたからもの

小さな海のたからもの

元場面緘黙児(自己診断)のブログです。
場面緘黙のことと適応障害のことを書いてます。

英語もカタカナの言葉も苦手な私は、アイデンティティの意味もよくわからなかったけど、調べてみると、英語では「同一であること」「本人であること」っていう意味で、心理学では「一貫した自己」「自我同一性」みたいな感じのことらしいです。

 

わかりにくいけど、「自分ってこうだ!」みたいなことですかね。

努力してこうなったとか、経験してこうなったとか、そういうのは関係なく、人生において不変的な「自分は自分である」ということのようです。

 

で、どうやら自分は、「これが自分である」「自分はこうである」というしっかりとした土台を持っていないのではないか、と思いました。

 

「本当の自分」がよくわからないというか。

 

そしてそれは、場面緘黙の影響もかなりあるのではないかと。

 

場面緘黙であった時期は、家での自分はおしゃべりで元気でうるさく、学校での自分は、全くしゃべらずおとなしく、という「二つの自分」で生活していました。

 

そして、結局、どっちの自分がホントなの?って聞かれても、それはわからない気がします。

今でも、です。

 

話すことは楽しい、実はちょっと目立つことも好き。

細かいことは気にせず、おおらかに!って感じが好き。

 

だけど、緊張する場面では話したくないし、ちょっとしたことで不安を感じたり、心配することがあったり、すごく細かいことを気にしてしまったり、なぜかどうしてもできないことがあったり、普通じゃない生きにくさを感じることがある。

 

本当の自分は元気で明るい自分で、不安を抱える自分は影の姿?

 

いやいや、本当の自分は、やっぱり不安になりやすい性格で、緊張しやすくて、人前でしゃべるのは苦手で…そうです、そんな自分ですよ。

 

あれ?でも、今、職場や家でおしゃべりしている自分は、元気で明るい自分です。

社会に適応しているちゃんとした自分、それが本当の自分じゃない?

 

え?どっち?

 

土台となる本当の自分ってどっちなんでしょう?

 

どっちもあって自分だよ、どっちもあるのが自分だよ、って言いたいところですが、それは違うと思います。

どっちもだったら、「混乱した自分」としか言いようがないです。

 

「自分はこうである」という土台がわからない。

グチャグチャです。

 

混乱したまま生きているってことでしょうか??

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 適応障害へ
にほんブログ村

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 場面緘黙症へ
にほんブログ村

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

 


人気ブログランキング