英語もカタカナの言葉も苦手な私は、アイデンティティの意味もよくわからなかったけど、調べてみると、英語では「同一であること」「本人であること」っていう意味で、心理学では「一貫した自己」「自我同一性」みたいな感じのことらしいです。
わかりにくいけど、「自分ってこうだ!」みたいなことですかね。
努力してこうなったとか、経験してこうなったとか、そういうのは関係なく、人生において不変的な「自分は自分である」ということのようです。
で、どうやら自分は、「これが自分である」「自分はこうである」というしっかりとした土台を持っていないのではないか、と思いました。
「本当の自分」がよくわからないというか。
そしてそれは、場面緘黙の影響もかなりあるのではないかと。
場面緘黙であった時期は、家での自分はおしゃべりで元気でうるさく、学校での自分は、全くしゃべらずおとなしく、という「二つの自分」で生活していました。
そして、結局、どっちの自分がホントなの?って聞かれても、それはわからない気がします。
今でも、です。
話すことは楽しい、実はちょっと目立つことも好き。
細かいことは気にせず、おおらかに!って感じが好き。
だけど、緊張する場面では話したくないし、ちょっとしたことで不安を感じたり、心配することがあったり、すごく細かいことを気にしてしまったり、なぜかどうしてもできないことがあったり、普通じゃない生きにくさを感じることがある。
本当の自分は元気で明るい自分で、不安を抱える自分は影の姿?
いやいや、本当の自分は、やっぱり不安になりやすい性格で、緊張しやすくて、人前でしゃべるのは苦手で…そうです、そんな自分ですよ。
あれ?でも、今、職場や家でおしゃべりしている自分は、元気で明るい自分です。
社会に適応しているちゃんとした自分、それが本当の自分じゃない?
え?どっち?
土台となる本当の自分ってどっちなんでしょう?
どっちもあって自分だよ、どっちもあるのが自分だよ、って言いたいところですが、それは違うと思います。
どっちもだったら、「混乱した自分」としか言いようがないです。
「自分はこうである」という土台がわからない。
グチャグチャです。
混乱したまま生きているってことでしょうか??