先日、父が逝去しました。

母と娘3人に見守られながら。

父は最後をどうおもっていたかな?

気持ちも若くて、体力もあった若々しい父だったから、まだまだやりたい事あったのはわかる。

しかし、父は仕事も、趣味も全うし、娘3人も成人し、孫も5人いて、、そう思うととても幸せな人生だったんじゃないかなー。

いつまでも、若々しくてやりたいことがあったという事実が、恵まれた幸せな人生だったと言えると思う。


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父の最後の闘病を記しておこう。

この2ヶ月が本当に辛い時期で、まさかこのまま亡くなるとは思っていなかったけど、、、がんは最後の2ヶ月までが元気というのは本当でした、、


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11月末には城崎温泉へ。

運転はやっぱりしんどいと、姉が父の運転をする。

ちょっと歩くのもしんどそうだったけど、風呂も何度か入り元気そう


12月9日は畑仕事もして、その前には3日には公園にいって日帰り温泉にも。。


12月某日。

京大病院へ行くと、もう抗がん剤(テプミトコ)の効果は少なくなってきた。

骨にあてた放射線も効果なし。

もうこの病院でできることは無いと、、悲しく辛い話。


京大病院での治療が無くなってしまったので、保険外の自由診療を調べて、大阪で光免疫治療をしようかと考え出す

12月末

京大病院の先生に光免疫治療のことを伝えると、お金はかかるがゲノム検査をするか?と聞かれる。→もちろんイエス!

ゲノム検査:採血して、アメリカの会社に遺伝子(DNA)を調べてもらって、癌細胞をより詳しく調べることであう抗がん剤を探すという検査。

一生涯一回のみ保険がきくが、20万?30万?とか。



12/28 

ゲノム検査の説明を聞きに京大病院へ。

この数日前から急激に腰回りが痛くなり、座る姿勢が厳しくなる。

こんな高額なゲノム検査でも新たな治療が見つかり、次のステップにうつれるのは10%くらい?厳しいけど、わずかな希望も諦めたたかないので検査をすることに。。しかもアメリカに血液を送って、結果を京大の数名の医師とカンファレンスしてと、結果まで1.5ヶ月ほど時間がかかる。。


病院でかりた車椅子には座ることができた。

杖をついて家の中は歩けるものの、外に出るのは厳しい状態。なんとか父を京大病院へ。連れて行くのも大変でした。

全身痛いと、、



1/1

31日家族全員で年末のお食事会を囲んだのを最後に、それ以降はベッドから起き上がれず。

ご飯もベッドで。

トイレのみ杖を2本ついていく。



1/5

京大病院へ。

ゲノム検査のための採血。


介護タクシーなど色々考えるが、結局は甥っ子に父の車を運転してもらい通院。


ゲノム検査の採血も終わったので、以前効果があったテプミトコ(抗がん剤)に戻してもらう。


1/10

大阪がんクリニックで光免疫治療をうけるための、MRIを撮りに大阪へ。姉の運転。


1/14

母から電話。

呼吸がゼェゼェと苦しそうと。

すぐに京大病院に電話すると、抗がん剤テプミトコの副作用かもしれないので来てくださいと。。

週末私は家でゆっくりしていたので、あわてて用意して実家へ🚗そして、父を乗せて京大病院へ。


副作用ではなく、肺に水がたまっていた。

とりあえず水を抜くが肺の癌が広がっていると、、抗がん剤も効いていないし、覚悟してください、、と


1/17

入院中の父に面会。

妹と母と3人いるところ、また先生から悪い話。

14日と同じく、癌が広がっていて、もう試せる抗がん剤がないと。テプミトコはきいていないから続ける意味はないと。

延命は希望するか、、、など暗い話。

肺なので呼吸困難になれば医師の判断でモルヒネに切り替えるし、など、、厳しすぎる話。

自宅で介護の準備は整っているかなど、看護師からも質疑。。



1/24

父、退院。

私がお迎えに。。🚗

車椅子なので、自宅の段差が大変、、💦

そして介護ベッドや簡易トイレなどもいるなーと慌ててケアマネに連絡。

訪問医も探してくれると。


1/25

要介護2認定され、自宅に介護用品レンタルも届く。歩行器、介護ベッド)


1/27

退院したタイミングだし、(病院の面会は子供は入れない)家族全員で父に会いに実家へ。

孫全員そろい、父も嬉しそう!



1/28

自宅ではかった酸素飽和度が84までおち、呼吸が苦しそうだったので、救急車で病院へ。

救急車で酸素マスクをつけた瞬間顔色も良く。

診断の結果、肺炎。肺の水も少したまってる。

そのまま入院。


2/1

緊急オペ。左の肺に水がたまっている、右のガンもすごいスピードで進行。ステロイド投与。

何があるかわからないから個室に監視カメラも設置される。


会いたい人には会うようにと、、怖い話。

週末まで待つかと言われる。



2/3-4の週末は家族全員で面会へ。

病院から金曜日夜から酸素量が増えていると電話。

絶食のためしんどそうだったけど、はっきり話もして、顔色も悪くなく。

ただ長居するとしんどそう、、

日曜はしんどいと、、



2/5

朝方、また激しくしんどくなったと。トイレのタイミングでしんどくなったと。。

ゲノムの結果も届き、水曜からあらたに保険適合になった抗がん剤ができることに!!


2/6

食欲も少し出てきて顔色も良くなってきたと。

症状も落ち着いている。

3連休までには退院したい、3月車検の車は手放さないなど先のことを話す父!元気な証拠。



2/7

栄養ドリンク、飲むゼリーなど父から差し入れのリクエスト。

今日17時からスタートする抗がん剤に向けて前向きな家族!


2/9

母が面会すると、しんどそう、幻覚が見えるなど、、症状が悪い様子



ラインには幻覚でイヌが見えると言ってたけど、じつは亡くなった親戚もいた、死神もいた、、あとはリスやイヌがウロウロしてるなど、、
ぞくっとすることを話していたよう。

私はここでGoogleで調べてせん妄の症状ではないか?だとしたら先は短い?と不安になる、、、


2/10

妹と母が面会


だいぶしんどい様子



2/11

朝7時半、病院から電話。

母がたまたま出なくて、私にかかってきた。。💦

その後母に電話すると、、やっぱりと一言。

母も認めたくないけどわかっていたよね🥲

がんで亡くなった義理父の様子もわかっている私もわかっていた、、


血液検査の結果、レントゲンの様子は金曜日から変わらないが痛みが強く身の置き所がない様子だった、意識朦朧としていたので、鎮静剤を何度も投与。



あわてて全員病院へかけつける。

10時半までは痛みで暴れていたけど、さらにモルヒネ?投与して、おさまる。

以降も処置が続く。



病院が家族控室を用意してくれたり、泊まるか確認。

もう意識は戻らないので抗がん剤も飲めないし、今日明日と私たちも信じたくないけど確信に変わる、、


母、姉、妹が病院に泊まることに。

姉の旦那も、私の旦那もこんな時に限って不在のため、私が甥っ子2人も預かる。泊まりに来る。

ちなみに病院は子供面会🆖なので、私が病院へ行っている間、下2人は義理実家へ。上の子は午前中はお留守番、お昼を食べて、午後は塾のテストへ。。



2/12
相変わらず病室(個室なのに)2名までしか入れず。
ロビーで子守もしなきゃだし、交代で父に面会。
しかし父はもう反応もなく、穏やかに眠り動きもせず。呼吸だけはゆっくりしている。
呼吸も夜からだんだん浅くなっている
10時半頃に心拍数や脈、呼吸も弱くなってきて、家族全員集まるようにと。。。パパ頑張ってくれてありがとう。って何度もみんなで言いました。
そのまま、母、子3人に見守られて息を引き取りました。。孫は相変わらずロビーで待機

信じたくない光景。すべてが後少しずつ早かったら運命は変わっていた、、
パパもなんで?って思ってるはず。
あんなにガッツのあった、若いパパ。

パパがガンステージ4と診断されて2年弱。
短すぎました。