Life is・・ -9ページ目

Life is・・

父を癌で亡くしました。
それから約3年、今度は母が・・・

10月14日


 昨日の夜から食事が出るようになり

 相変わらず食欲はなかったが、落ち着いてきたようだった。


 そんな14日の朝、父が先生から、家族の人とも話したいから

 呼んでくれないかと言われた。

 なので、私と夫でお昼休みに行くことにした。

 母は昨日から少し熱があり家で待っていた。

 熱がなくても、たぶん聞いて来てと、一緒に来ないだろうけど。


 父の所にちらっと寄ってから、ナースステーション内の

 小さな部屋に向かった。

 何となく嫌な雰囲気・・・

 先生は静かに話し始めた。

 父の今の状況、画像を見ながら教えてくれたが

 腫瘍は約3週間前と比べて倍の大きさになっていた。

 年齢から考えても驚くほどの速さで進行しており

 すごく悪い状態らしい。

 「何も治療しなければ、おそらく今月いっぱいもつかというところでしょう・・・。」

 「えっ、そんなに早く・・・そんな・・・。」

 私たちは言葉を失った。

 今月って、あと2週間ちょっとじゃない。。。


 それから先生は、予定通り、抗がん剤治療を始めましょうと言った。

 抗がん剤で抑えられるのは、ほんの数ミリかもしれない。

 進行の方が早ければ追いつかないし、効かない場合もある。

 

 でも、ここでやらなければ、絶対悔いが残ると思った。

 

 

 それから、私と夫は

 12階の休憩室で、ぼーっと外を眺めていた。

 どこかで覚悟はしていたけど、こんなに早いとは思わなかった。

 涙は必至でこらえた。

 帰る前に父の所に行かなければならないから。

 絶対、涙は見せたくない。悟られてはいけない。

 

 

 そして、父に伝えた。

 「出血も止まったし、明日から予定通り、抗がん剤治療するから!

 がんばろうね!!」


 


 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

病気になっても輸血はできるならしたくないね
とか、以前父と話したことがあったが
今はそんなこと言ってる場合じゃない(・_・;

救急室のベッドで翌日まで計4本続けた。
貧血が治ったわけではないが、真っ青だった顔も少し血色が良くなった。

血はお腹の中に溜まった状態で、だがそれで出血が止まっているから抜かない方が良いらしい。
翌日、個室が空いていないという事で救急室から二人部屋に移った。
ナースステーションの横で、とても広い部屋だった。
私と母は気に入ったが、父はテレビの音にも遠慮しないといけないと少し愚痴を言っていた。

まだ食事はできない。
調子が良ければ明日から食事が出る。






10月11日

父は、退院して家でゆっくり。
薬も自分でしっかり管理して飲んでいたので、痛みも抑えられていた。

と、思ったのも束の間。

私は実家のすぐ近くに別居していて、土曜は家の用事に追われていた。
母は近くの整形外科に行って、父一人で家にいた。

父の弟が見舞いに来たので、早めに帰ってくれと母に電話があり、急いで帰ると、父がいない。
弟がいるのに出て行くはずはないと家の中を捜すと、トイレで倒れていたのだ。

貧血か、くらくらして起き上がれなかったそうだ。
それから

母と弟で布団まで運び、夜まで横になっていた。

だが、どうもおかしいと母が私に電話してきた。何も食べないし、いつもより辛そうだと。
すぐ病院に行こうと、私と夫で迎えに行った。


その時の父は、気はしっかりしていたが顏色が悪く、吐き気があった。

また救急にかけ込み、血圧を測ると上が40しかない。

その後は、家族は待合室にいて下さいと言われ

いろんな検査が始まった。


血液検査で出たかなりの貧血状態。

どこから出血しているのか

結果、肝細胞破裂で、即輸血となった。