こんにちは。mikiです。
私にはとても好きなコーヒー屋さんがあって、いつもそこのネットショップで豆を購入しています。
そこはカフェブームの先駆者的なお店で、私は2回そこを訪れたことがあります。1回目はまだ結婚していて、小さな娘と夫と3人で旅行した時。
2回目は、離婚したばかりの頃、ちょうど小学校の修学旅行で娘がいないタイミングで、一人旅をしたとき。
長い結婚生活が予想外に終わってしまって(出会った頃から数えたら21年一緒にいた)
、とても疲れて、何か自分に、記念になるようなご褒美をあげたくなったのです。
そのお店があるのは観光地なので、いろんな場所を観光しながら、久しぶりにそのお店を訪れました。
コーヒーを注文すると、その店主の方が自らコーヒーをドリップしてくださっていて、その様子を見ながら、「この人、なんかすごくいいお顔されてるなあ…。きっといい仕事を積み重ねて来られたんだろうなあ…」と感じました。
離婚する前、元夫とは全然話が通じなくなっていて、あんなに大好きで、気が合って、信頼していた人なのに、どんなに言葉を尽くしても私の気持ちが伝わらないし、相手が何を言っているのか理解できなかった。
そして、この人はこんな人だっただろうか、こんな顔をする人だったっけ、と思うことばかりで、打ちのめされていた。
だから、その店主の方の、穏やかにコーヒーをドリップする様子を見ていたら、この人も、これまでいろんなことがあったのかもしれないけど、それを自分で乗り越えて、消化して、今、こんな風にいい表情で仕事できているんじゃないかな、と思った。
それは全部私の想像で、本当のところは何も分からないけど、でもそのことに、なんだか慰められるような気がした。
そういう生き方だってできる。そういう未来を自分で作ることはできる。
そしてもし、私がこれから誰かとお付き合いすることがあるとすれば、今度は、こういうお顔で仕事をしている人と一緒にいたいと思った。
そして先日、お店を始めたら、ぜひここのコーヒー豆を使わせてもらいたいと思っていたので、豆の卸売りについてお店に問い合わせしてみた。
すると店主さん自ら、すぐに詳しい返答のメールを下さった。
そこには「カフェ開業おめでとうございます。カフェは毎日大変ですが、やりがいのある仕事です。」という言葉の後に、卸売りについての丁寧な説明があった。
それに対するお礼の返信をした後、なんだかふいに感動して泣けてきた。
少し前まで、私は全然馴染めない職場にいて、この世の誰からも存在を気付かれないような気がしていて、苦しくて寂しかった。
でも、そこを出てひとりになってみたら、憧れていた人と対等に話ができている。「〇〇 〇〇〇」(私の名前)という一人の人間として、認識してもらえている。
そのことがうれしくて、ひとしきり泣く。本当にやめてよかった、とまた思う。
私はいつも、誰とでも対等でありたいと思っていて、でも集団の中にいると、それがとても難しかったりする。集団の中の力関係によって、自分の立場が強くなったり弱くなったりすることがあるから。
でも、人は1対1になると、ちゃんと相手に敬意を払う。そういう生き物だと思う。
だから、今までの自分だったら、接することなんてないと思っていた憧れの人とでも、こうしてメールのやり取りをすることだってできる。
ひとりで立つと、その反応が私自身に返ってくる。それはいいことばかりではないのかもしれないけど、すごく清々しい。
雇われているときは、つらくて泣きながら帰ったりしていたけど、今はしょっちゅううれし泣き。幸せ。本当に幸せ。
写真は、そのお店のコーヒーをいれて、朝のお茶とおやつ。お茶とおやつの時間が大好き!