うちは旦那が大学院まで行って政治経済について学んだ人なもんで、昔から旦那は良く政治がらみの話をしてたんですが、私の方は
「へー、はー、ほー」
とテキトーに聞き流してきたんですよね。
でも、ここ10年ほど旦那が政治の世界にドップリで、気が付けば私もドップリ。
で、何かよくよく考えてみると、政治という泥沼にハマるにつれ、世の中の悪いところばかりが目に付くようになったり、世の中の矛盾にイライラするようになったり、何でもかんでも疑り深くなったり、ロクなこと無いような気がして仕方が無い今日この頃。
昔はもっとシンプルに純粋に前向きに生きてたような気がするのに、今の自分はどうよ???
と、そんなことに気づけば気づくほどもう政治のことなんか見たくも聴きたくもないと思うんだけど、でも一度気づいてしまったものはいくら無視しようとしても勝手に目に耳に入って来てしまうもの。
英語がわからなかった頃は周りで誰かが英語を喋ってても「音」でしかなくて耳にも頭にも入って来なかったけど、今では周りで誰かが英語を喋ってたら嫌でも頭に入って来ちゃう・・・ってのと似てるかも。
でもホントにもう政治のことなんて一切忘れて、政治のことなど一切見ない・聞かない・語らない・・・みたいな感じで生きて行きたくて仕方ないですよ。
政治なんかに左右されず、それこそ例えこの国がベネズエラ2.0になってしまい、あっという間に飢えに苦しむビンボー独裁国家になってしまったとしても、
「ま、だとしても、どうにかして生き延びる為に頑張ればいいじゃん!」
とドーンと強気でいられるサバイバル能力だけ身に着けときゃいいじゃん・・・。
政治なんて私の人生から出て行って欲しいわホント・・・。
・・・みたいな。
でも、そんなことを言ってると旦那に
「君はもうちょっとそういうストレスとの向き合い方を学んだ方が良いよ」
とか言われて、カッチーン!と来る半面、
「仰る通りでございます」
という気持ちになるのも事実。
そういやこの間のミサで、
「外から入って来る情報は選べないことが多いけど、自分の内側から出てるものは選べる」
みたいなお話があったんですよね。
どんなに醜く汚いものを見聞きさせられても、自分の中から出て来る気持ちや、自分が発する言葉まで醜く汚いものにならないようにする・・・。
と、そんなことについて考えさせられました。
確かに一国の、しかもアメリカのような国のリーダーに、政治をゲームのようにしか考えてないような人が選ばれてしまったら、その代償は高いし、実際その代償を世界中がここ4年近く払わされてるわけだけど、それでも怒りや憎しみ、イライラ、焦り、などなどの醜く汚いものを自分の中に発生させない人になりたいもんです。
もちろんそれは
「ま、別に何でもいいっすよ、もう・・・」
と無関心になることじゃなくて、醜さや汚さや痛みや苦しみをぜーんぶガッシリ受け止めて、それでも強く優しく笑顔でいられる強さが欲しい・・・みたいな感じかな。
映画「ライフ・イズ・ビューティフル」のお父さんみたいな強さ?
・・・と、この写真を探してて気づいたんですが、この映画ってもう25年以上も前の映画なんですね。
あの子役の子↑が今じゃこんなに成長しちゃってるらしいです↓
しょえーーーっ!
25年ってこんなあっという間なんか???
ホント、政治やら世界情勢やらに一喜一憂してる場合じゃ無いですわ。
旦那の言う通り、政治が嫌だとかニャーニャー文句言ってないで、情報として処理するところは処理し、後はドッシリ構えて笑い飛ばせる強さを身に着ける努力をすると致します。
・・・できるかな・笑。