フォローしている海外在住のビデオブロガーさんが暫くプチ鬱になってたという投稿をしてました。
普段の生活がずっと外国語で、子供が大きくなってきてからは子供達もその外国語が母国語のパパとばかり話すようになり、疎外感や孤独を感じずにはいられない・・・
そんな内容でした。
うちには子供がいないけど、でも、外国語しか話せない毎日の中でふと淋しさや焦りを感じることはあると言えばあるので、お気持ちわかるわ~。
特にお子さんまでパパとばかり話すようになるってのは淋しさや悔しさみたいなので心が曇りまくっちゃうだろうなぁ・・・。
・・・とは言うものの、実は正直に言うと
「やっぱ私だったら多分それぐらいでは鬱にはならんなぁ・・・」
と頭のどこかで思ってしまったのも事実(ごめんなさ~い!)
やっぱり人によって「いっぱいいっぱい」になる条件てのは全然違うんですよねぇ。
うちの旦那は子供の頃からずーっと苦労してきた人で、酷い時には食べるものにも困ることがあったんですが、ある日女友達が泣きながら
「卒業祝いに親が車を買ってくれることになってて、絶対BMWが良いって言ってあったのに結局BMWは買って貰えないことになった」
という身の上話をして来たんだそうです。
旦那にしてみれば親が車を買ってくれるなんつーことだけでも羨ましいのに、車種が違ったことでそんなに泣くほど辛いなんて、申し訳ないけど全然気持ちわからんわ~ってのが正直なトコだったらしいです。
でもやっぱり、
「人によって何が辛いと思うかは全然違うんだなぁって思ったよ。
僕にとっては全然わかんない辛さだけど、彼女にとってはホントに辛かったんだと思う。」
って言ってて、そーだねー・・・としみじみ語り合ったもんです。
また逆に、当時付き合ってた彼女とケンカになった時に、友達に何気なくそのことを愚痴ったら
「僕は今までガールフレンドができたことないから、ケンカできる彼女がいるってだけで羨ましいよ。
この年までずっと独りだと、もしかしてこの先もずっとなのかな・・・って不安になることがあるんだよね。」
って言われ、ハッとしたそうです。
自分では辛いと思ってたことが、人によっては羨ましいとさえ捉えられるものなんだな・・・って考えさせられたって言ってました。
辛いことや嬉しいことって実は意外と実体が無く、時と場合によって大きくなったり小さくなったり姿形を変えるもんなんですねぇ、きっと。
思えば今回イロイロあってかなり傷ついた私達ですが、でも、もし父の手術が失敗して
「お父さんダメだったよ・・・」
なんて電話が母からかかって来たなんてことになってたら、そっちの方がどう考えても絶対に立ち直れないぐらいのショックだったわけで、そう考えると
「いや~、やっぱこのぐらい大したことないや~」
と思えちゃうから不思議なもんです。
だって、もし
「こういう傷つく出来事か、お父さんが手術に失敗して他界するかどっちか選んで」
なんて言われたら一瞬の迷いもなく前者を取りますしね。
でもって、逆に私らみたいにミョーに苦労して来た夫婦にとってはちょっとしたことでも超感謝感激できるっつーメリットもあって、それは良いことだな~っていつも思ってます。
多分フツーの人生歩んできた人にとっては「は?そんなこと?」みたいなことでも私達にとっては超嬉しいことで、小躍りしたあげくお祝いまでしちゃう・・・ってなもんだったりしますからね。
そう考えると、辛いことへの耐性ができて、喜びへのハードルが下がるってのは悪いことじゃないですねぇ。
難関は軽々突破し、小さい事でも喜びながら生きられる・・・。
実は結構幸せな人生なのかもです、私達。