日本は昨日が父の日。
夕食食べ終わったあたりで父に電話するかな~
と思っていたらナゼか弟から電話が。
ってか、よく見ると両親とのグループ通話。
あ~、こりゃきっと例の遺産騒ぎの件での作戦会議的な電話だなぁ・・・
と言うことで電話に出て、しばし弟と久しぶりにお話。
弟と私はまぁフツーに仲いいんですが、そう滅多に連絡を取るわけでも無いんですよね。
誕生日や年末年始とかに挨拶のメッセージをLINEするとか、極たまーに何か用事があってこれまたLINEでメッセージ送るとか、まぁその程度。
でも私が日本に行けば必ず一家総出で遊びに来てくれるし、両親と一緒に空港まで来てくれたことも何度かあったっけな。
今じゃ3児の父でしっかりやってるみたいだけど、小さい頃は泣き虫の甘ったれで、実は結構姉の私を慕ってくれてたんですよねぇ・・・。
小さい頃病気になって1週間ほど入院したことがあったんだけど(私が)、ようやく退院してきた日に弟が学校から帰って来る声が聞こえたのにナゼか私が寝ている部屋にはやって来ず。
「あれ???今絶対帰って来た声したのに何で顔見せに来ないんだろ???」
と思ってたら母が私のとこにやってきたもんで、
「アイツ今帰って来たよね?どしたの???どこ行ったの?」
と聞いたところ、
「今ね、玄関先で泣いてるのよ。お姉ちゃんの靴があったから帰って来たってわかって嬉しくて泣いちゃってるの。」
って、ちょっとちょっとー!
私まで泣いちゃうじゃんよー!!
結局しばらくしてようやく私の部屋に弟がやってきたんだけど、そりゃあもうアホみたいにはしゃいでて、マジ泣けましたわ。
今は昔のように大はしゃぎしたり泣いたりすることはもちろん無くなってしまったけど(ま、当然ですわな)、でもやっぱりたまーに会ったり連絡したりする時は私にとっては可愛い弟なんですよねぇ。
長い海外暮らしで日本の常識なんてすっかり忘れてしまった超オチャラケ女の私と違って弟はめっちゃマジメな常識人なので、そういうトコもホント助かります。
ちなみに最初はずっと「お姉ちゃん」と呼ばれてたはずなんですが、小学生の時に一時期「ことりお姉ちゃん」と名前付きで呼ばれるようになり、またその後は「お姉ちゃん」に戻ったもののいつの間にか「おねえ」という呼び名に…。
(なんかイロイロ勘違いされそうな呼び名でしたわな)
そして更に、私が海外暮らしになり自分のトコには子供も生まれてお父さんになってからは、もう「おねえ」でも無くなり、気が付けば「ことり」と呼び捨てされるようになっとりました。
おいー!何でじゃー?!
わたしゃ妹かー?!
ま、でもお陰で(?)甥っ子達も私のことは名前で呼ぶようになり「おばちゃん」とは一度も呼ばれたことのない人生を歩ませていただき有難い限りですが。
何でそうなったんかな~?と時々疑問には思ってたんだけど、多分、嫁に2人も姉がいるもんで、私のことまで「お姉ちゃん」と呼んだら誰の話してるのかヒジョーにわかりにくいからかなぁ・・・と勝手に想像しとります。
あ、でも、うちの旦那のことは「兄さん」と呼んでくれるんですよね~。
旦那は日本語が喋れないし、弟は英語が喋れないので、もちろん
「あ、兄さん、ご無沙汰してます!」
みたいに話しかけるってわけじゃぁ無いんだけど、私に連絡して来た時とかに
「〇〇兄さんによろしく」
とか言ってわけなんですが、これがまぁ地味に嬉しいんですよねぇ~。
見た目も言葉も文化も全然違ううちのアメリカ人旦那をちゃんと家族として受け入れてくれてるってのがホントに嬉しいんですよ。
というわけで、めっちゃ前置きが長くなりましたが、弟からかかって来たLINEのグループ通話で両親が参加するまでしばし弟とお喋りしてたんですが、ふと気づけば両親は一向に参加してこず。
「あれ?今電話でグループ通話にすること説明して電話切ったばっかなのに、何で参加してこないんだろ??」
と弟も不思議がり、一旦電話を切って再度両親にグループ通話のことを説明しかけ直す…ってことになったんですが、その後弟から再度グループ通話がかかって来たのにやはり両親は参加してこず。
「マジか???何でわからんのよ??」
と弟と2人で笑っちゃいましたよ。
まぁ暫くしてようやく両親が参加してきて無事に親子4人で会話ができたんですが、何だか時の流れをヒシヒシと感じましたよ。
いつの間にか私や弟の方がイロイロできるようになっていて、親の相談に乗ったりするようになっているんだなぁ・・・と思うと感慨深かったですわ。
とりあえず遺産の件は諸々の話し合いに弟が全て立ち会ってくれるということになったので心強いったらありゃしない。
私も弟も互いに所帯を持ち、昔のような「両親と姉弟」というユニットでの活動は無くなってしまってたので、久々にこうして4人だけで会話できたってのも何だか嬉しかったな~。