こちらは、私が投稿した乾癬体験談になります。長文ですので、二回に分けて投稿します。

 

はじめに

私の息子は、22歳になったばかりの時、乾癬を発症しました。

最初は小さな赤い発疹が腕に出来ているだけでした。それが両手両足に広がり、一ヶ月程度で全身が赤い発疹だらけとなりました。そしてその発疹がつながって行き、大きなかさぶたの様になり、それがあっという間に全身を覆ってしまいました。

思春期の頃はニキビすらできた事のなかった息子の色白の皮膚が、背中も手足も額もひび割れた岩肌の様な状態になりました。少し動くと頭のてっぺんを含む全身から粉が舞い、皮膚が衣服や布団に触れるだけで痛くて仰向けで寝ることも出来ず、日常生活をこれまで通り送る事に支障が出てきました。

当時はそれが乾癬だとはわからず、いくつかの病院を転々としましたが、その後最後に行った医療機関で紹介状を書いて頂いて大学病院に行くと、ようやく乾癬だと判明し、その日のうちに入院する事になりました。その後、その乾癬は「尋常性乾癬」という種類だと診断をうけました。

やっと病名が分かって安心したものの、主治医からは、乾癬とは治療法は無く一生付き合わなければならない皮膚の難病だといわれ、私たちは目の前が真っ暗になりました。

息子の入院中、私は「治らないはずはない」と必死であらゆる治療法を探しました。その時にインターネットで、ケーシーの食事療法にたどり着きました。

インターネット検索中に、沢山目にした民間療法の中で、私がケーシーの食事療法に心をひかれ、説得力を感じたのは「皮膚の病気は腸に問題がある」という部分でした。私は以前中国医学でも「腸と肺が悪いと皮膚に影響が出る」と言われているのを耳にした事があったのです。

入院中ステロイドを毎日1時間以上かけて全身に塗っている息子を見て、私は何とか薬に頼らずに乾癬を治せないかと思っていた矢先だったので、薬に頼らず行えるケーシーの食事療法は、取り組む価値があると思い、退院後はそれを参考にして息子の食事を作る事にしました。私の中での治療方針が定まった心強い瞬間でした。

食事療法を初めて数ヶ月で、少しではありましたが効果を感じ始めました。1年後には背中のかさぶたのような塊はほぼ消えて、赤い地図のようなものだけになりました。盛り上がった乾癬があるのはわき腹や両手足などだけになりました。もちろん体調や食生活の緩みで乾癬が酷くぶり返す時もありましたが、2年後にはかなり良くなりました。今では、健康な皮膚を取り戻し、定期健診も来なくて良いといわれるまでになりました。

私はケーシーの食事療法を、ケーシーの文献を購入したわけでもなく、ご指導を受けたわけでもなく我流で行いましたので、皆様に報告するのは大変恐れ多いのですが、それでも自分の出来る範囲で行っただけでも、ケーシーの食事療法は息子には効果があったと実感しております。ですので、その点は自信を持って人にお話し出来ると思います。

以下に、発症当時から食事療法開始、そして緩解するまでを、さらに詳しくご説明していきたいと思います。

 

①  乾癬発症の経緯

2017年9月

当時息子は東京の大学に通う学生で、就活が終わり、上海に語学研修に行く準備や免許合宿などで充実した日々を過ごしていました。

そんな時、腕に小さな赤い発疹が数個できているのを見つけましたが、腕だけの発疹だったので、特に深刻に考えずにそのまま上海へ語学研修に出発しました。

上海での生活がはじまりましたが、発疹が消える事はなく、逆に半月程かけて徐々に増えていき、最終的に全身にびっしりと赤い小さな斑点が広がっていきました。当時インターネット通話でその皮膚を見せてもらいましたが、風疹のような、水ぼうそうのような見た目でした。

当時、微熱も続いており、現地の信頼出来る外国人向け病院や日本人向け病院で診察を受けましたが、その診断結果はまちまちで、溶連菌、肺炎、もしくは皮膚の症状から性病を疑われたりしながらも、結局は原因不明という事でした。微熱はその後なくなりました。

 

2017年10月

全身に広がった発疹は、いつの間にかつながっていき、大きなかさぶたの様な平べったい塊になり、特に背中は亀の甲羅の様になりました。また膝や肘のような関節を覆う様にできたものは、とても痛いらしく、曲げ伸ばしがしにくい状態でした。背中に隙間無く広がった乾癬のせいで仰向けで寝ることも辛かった様です。息子は、全身がひび割れた岩肌のような皮膚になってしまった事にショックを受け、息子本人だけでなく、家族みんなが涙しました。

体を少しでも動かすと全身から粉が舞うので、歩くだけでも気を使う日々。また皮膚が衣服にふれるだけでも痛いので、日に日に普通の生活が送りにくくなってきました。

全身から常に落ちる粉で、当時ホームステイしていた部屋の床が一晩で真っ白になるような状態だったそうで、毎日自分の体から落ちる粉を掃除し、粉だらけの下着をホームステイ先の洗濯機で洗うのはとても気が引けると言っていました。

まともな皮膚の部分はほぼなく、そんな体を洋服で隠したくても皮膚が生地に触れると痛いですし、また顔面や手の甲にできた部分は隠す事もできず、語学学校に行くのも辛い、人目を避けたいと電話で半泣きで言う様になり、メンタルが崩壊しつつありました。

診断もつかないこの原因不明の皮膚病のまま、これ以上上海に居るのは無理だと判断し、帰国させる事にしました。見た目があまりに酷いので、関西空港到着後、自ら空港の検疫所に行き、「このような皮膚になっているが何か感染症でしょうか」と聞いてみると、当直医師は「これまで見た事がない症状なので感染症ではないと思うが、紹介状を書くので明日病院で診察を受けて下さい」と言ってくださり、紹介状を渡してくれました。

帰国翌日の朝、大学病院に行き診察を受けると、医師からは「乾癬だと思います」と言われました。その決め手は、全身に広がった皮膚の症状と、足の裏と手の裏にだけは乾癬の症状が無いという事でした。あまりに重症でQOLが低下しているので即入院と言われ、その日から一ヶ月以上の入院生活を送ることになりました。

これまで、息子は上海で病院を転々とし、そのたびに原因不明と言われ続け、一体この全身を覆いつくす奇病は何なのか、もしや何かの呪いなのかと、不安な日々でしたが、病名が判明した事に深い安堵を覚えました。最初は滴状乾癬なのか尋常性乾癬なのかまだ分からないと言われましたが、その後、尋常性乾癬との診断を受けました。

その時の症状は、常に体が寒い状態(全身が岩肌のようになっており体温調節ができない)で、化繊の服は皮膚に当たると痛いので、、布団も下着も全部綿100%のものに変えました。これまで愛用していたヒートテックなどは肌を突き刺す感覚があり、着用する事は出来ない状態でした。

入院しても引き続き、全身から粉が舞う状態で、入院中はベッドの粉を自分で掃除するためのコロコロを病棟から支給されていました。

後になって息子から聞いた話では、大学に入ったばかりの頃に発疹が出来て病院に行ったら「乾癬かも」と言われた事を思い出したそうです。ですが、その時は乾癬と言う病名にピンと来ず、またすぐに治ったので、忘れていたと言っていました。思えば昔から乾癬体質だったのかもしれません。

 

②  取り組んだ治療について

入院中は、ステロイドと、保湿剤を全身に塗るのが日課で毎回1時間以上かけて塗布していました。そして紫外線を数日に一回全身に照射。この二本柱の治療でした。

それ以外は入院中は何もする事が無く、複数の医師からは一様に具体的な治療法が無いと言われていたので、親としては、ただひたすら祈る事しかできない日々でした。

乾癬になった原因については医師の見解もまちまちで、ストレスが原因だという医師、現代の食生活が原因だと言う医師、上海の空気と水が合わなかったからでは?とも言われて、原因も治療の方針も定まらないことに大きな不安を感じていました。

一番不安だったのは、このまま状況が改善しないと生物学的製剤、つまり点滴を打たなければならないといわれた事です。それには副作用もあると言うことでした。息子はすでにステロイド塗布と紫外線照射で副作用のある対症療法をしているのに、体の中にまでこれ以上副作用のある物は入れてほしくないと思いました。息子は生物学的製剤も最悪の場合は受け入れるつもりでしたので、その方法を全否定する事はできませんでしたが、私としては、なるべく副作用の無い方法で治して欲しかったのです。

神様どうか息子の乾癬が少しでも良くなりますように!と、毎日祈りの日々でした。

 

③   ケイシー療法に出会って成果が出る過程

入院中、尋常性乾癬は一生治らないだけではなく、もしかしたら関節にも影響が出るかもしれないと主治医に言われました。そんな恐ろしい病気なのに効果的な治療法がないと言われて、絶望した私は、もう主治医だけを頼ってはいられないと、居てもたってもいられなくなり、息子の入院中はインターネットで乾癬というキーワードを何百回と入力して治療法を検索しました。

私は中国語の通訳の仕事をしているので、中国医学の言い伝えなどを耳にする事がたまにありました。その中に皮膚の病気は腸や肺に問題があるというのがあったので、まずは中国のサイトを調べる事にしました。しかし乾癬という言葉自体がなく、治療法を探し出す事はできませんでした。 振り返ってみると上海滞在中の息子が上海の有名な病院を転々としても、診断がつかなかった事から考えると、皮膚病の治療法はあっても、乾癬に特化した治療法はないなと思い、中国医学で調べることは諦める事にしました。

次に、日本語で乾癬の治療法を調べていくと、沢山の民間療法やおまじないの様なものが色々とヒットしました。沢山ある情報の中で、お金がかからず、薬にも頼らず、私でも取り組めそうな食事療法が見つかりました。それがケーシーの食事療法でした。

このようにネット上から、ケーシーの食事療法を知った私ですが、ネット上に沢山あふれている乾癬の治療法の中で、ケーシーの食事療法を選んだのには一つの大きな決め手がありました。 それは、冒頭でもお話したケーシーが「皮膚の病気は腸に問題がある」と言った部分です。中国医学でもそのように言われているし、それをアメリカ人のケーシーも言っているのであれば、これは信ぴょう性がある!とケーシーの食事療法を参考にする事にしたのです。

当時、病院では依然としてステロイドと紫外線照射のみの日々でしたので、息子が退院したら、息子の体を作る食べ物は全て私の手に委ねられている、何もしないよりは絶対にマシ、食事で息子の元の皮膚を少しでも取り戻してみせると覚悟を決めました。

乾癬になってからというもの生活が激変し、大学卒業前に予定していたすべてのスケジュールが中止となった息子。それまで明るかった息子が笑顔も見せなくなり、うつむき加減で歩く姿は、見ててとても辛く悲しかったです。ですので、退院してからは、息子が少しでも前向きになれるように、乾癬や腸に良い食生活を中心に息子をサポートしようと決意しました。

 

2017年12月 退院

病院ではステロイドと紫外線照射による治療のみで、多少の改善はあったものの、劇的な効果は見られなかったので、退院後はすぐにケーシーの食事療法を開始しました。お恥ずかしい事に、著書は購入しておらず、ネット上にあるさまざまな情報をかき集めて、メモを取ったり印刷したりして、参考にしてきました。当初ケーシー療法のことは全く知らなかった私でしたが、内容を読んでいると自分の体感として納得できる事が多かったので、日々の生活に簡単に取り入れられる事はなるべく取り入れることにしました。

まずは、息子の食事には精白したものの代表である小麦粉や白砂糖を使うのをやめました。またそれまで良く作っていた揚げ物を作らないようにするために、サラダオイルを家に置くのはやめました。小麦粉を使った料理である「粉もの」も封印です。大阪人にとって「粉もの」はソウルフードで、息子にとっても好物なのに、タコ焼き、お好み焼き、うどんが作れないのは私としてもとても残念な事でした。同時に皮膚に効果が現れるまでは、小麦粉を使ったふわふわのパンケーキやラーメン、ピザ等も全て禁止する事にしたので、息子も相当辛かったと思います。