亡くなった伯父の末の弟。
桜の木の下でポツンと座っている叔父の姿があまりにも切なくて。
心に焼き付けようと思いました。
自身も入退院を繰り返す身だけに、
病室にいるとね、
週末になると子どもや孫たちが来るだろう?
あれは結構こたえるんだよな。
アニキは楽になったのかもしれないな
と、帰りの車中でふとつぶやいた叔父の言葉は、
きっと、ホントの言葉。
ふたりとも、子どもに恵まれない御夫妻だったので、
離れていても私たちを孫のようにかわいがってくれたのだけど。
それでもやっぱり、ずっとずっと
さみしさつらさを抱えていたんだなと、
あらためて気づきました。
みんなが冷静に見送る中で、ただひとり
「にいちゃん!!」と呼びかけた大きな声に
胸がぎゅっとなったけど。
一方で、感謝の気持ちとか、さみしさだとか、
とにかくまっすぐな愛を感じた気もしました。
オトナになればなるほどに、悲しみとか、
つらさとか、うれしさとか、
そういった感情をそのまま表に出すのを
ためらうようになりがちだけど。
だけどやっぱり、触れていたいとか、
そばにいたいとか、想っていたいとか、
そこにいる、というだけでうれしいとか。
いろいろな形の好きって感情は、
ちゃんと(迷惑にならない程度に)まっすぐに
表現していいんじゃないか、
伝えていいんじゃないかって思いました。
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そっと触れた伯父の顔は、つめたかったけど
この人がいたから、今、私たちがいるんだと。
あらためて感じることのできた、やさしい肌でした。
戦死した祖父の代わりに、早くから自衛隊に入隊し、
その後は、石炭景気に沸いた高島の炭鉱で
炭坑夫としてはたらきながら、
私の母や、写真の叔父など、弟や妹たちを支えてくれた伯父。
4~5ヶ月ほど前の特集で、荒尾を取材した際に、
資料館で見た写真に釘づけになったのは、
おじさんもこんな風に、真っ黒になりながら
昼夜交替で働いていたのだな…と思ったから。
そんなおじがいたから、母は大人になることができ、
私たちの今がある。
そんなことを思いながら骨を拾い、
最後まで見送らせていただきました。
けんいちおじさん、
本当にありがとう。
お疲れさまでした。
三男おじさん、会いに行くね。
ひとりにはならないよ。










