ありがとう。 | Seed of ...

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毎日のなかにあるしあわせのたね。きぼうのたね。えがおのたね。すべては、みらいをつくるもの。

$ちいさな想いを紡ぐ場所。

昨日、4月26日は父の命日。

早いものでもう、10年が経ちました。



朝、仏壇に手を合わせながら、

久しぶりに父が旅立った頃のことを思い出しました。



1年足らずの闘病生活であっという間に旅立ってしまった父。

2度目の入院をし、もういよいよ望み薄と言われたとき、

本当はあのとき、まだ息があるうちに

一度だけハグってしたかったのだけど、やっぱりなんだか照れくさく。


母と姉がお風呂に入りにいき、病室で父と2人になったとき、

意識がない父の頭や顔に、そっと手を添えていたのを思い出しました。



父の余命を聞いてから、強くなろうと心に決めて。

父や母の前ではできるだけ楽しいそぶりをしていたけれど。

その時だけはどうしても、涙があふれてとまりませんでした。



そして父の肌のぬくもりがしずかに、しずかに伝わってきました。




父の身体からぬくもりがなくなり、

そして身体がなくなって、

それから少しずつ、父のものから匂いが消えていき。



時間は父の存在をどんどん消してしまったけれど、

かといって遠いものになってしまったわけでもなく。



亡くなって1~2年はむしろ、

以前にも増して、父に話しかけることが多かった気がします。




意識がまだあるうちの最後の最後、

父とふたりきりになったとき。

父が私に言ったのは「ごめんね」という一言で。



当時の私には、その言葉が意味することがほんの少ししかわからなかったけれど。

時間が経ち、私も親になり。


いろんなことと出会うたびに、ふとその言葉を思い出します。



あっという間で、それはそれは驚くほどに、

いろんなことが怒濤のように押し寄せた10年間。



迷ったとき、悩んだとき、

1人で佇んだ父のお墓。



毎月の命日には必ず足を運んでいたけれど、

そういえばここ1年は、祥月命日とお彼岸と、

お盆とお正月だけになってしまっていて。



その代わりに朝夕と、

子どもらとともに「行ってきます」「ただいま」

って声をかけるのが日課になっています。




本当は今日、朝からお墓参りに行くつもりだったのだけど、

思うように仕事がはかどらず、

結局、夕方、子どもたちの迎えを済ませて親子4人で出かけました。



もしかしてお父さん、孫と一緒に来てほしかった?にひひ



「この10年、早かったね。いろいろあったね、ありがとう」


そんなことを話しかけ。

今の自分を見つめながら、父と無言の会話をし。



日が落ちかけてちょっぴり肌寒いはずの夕暮れも、

なんだかフシギと両腕で包み込まれているような、あったかい気持ちになれました。



お父さん、本当にありがとう。

そして、これからもみんなを見守っててね。


あなたの娘、真弓より。