シャボン泡のにおいでもなく
卵焼きのにおいでもない、
ちょっと鼻につくパーマ液のにおい。
それが、私にとっての母のにおい。
一人で切り盛りする
田舎町の小さな小さな美容室で
お客さまと楽しそうに笑う母の姿に
幼い私は憧れた。
今ほどオフィシャルな場面で
美容師の仕事を目にすることもなかったから、
当時の私にとって、美容師は
“カリスマ” “かっこいい”という存在ではなく、
お客さまが快適な毎日を送るための
サービス・技術を地道に提供する人
というイメージだった。
お客さんが来れば7時前でも店を開け、
お客さんがいる間は22時をすぎても開いていて。
待ち時間にはお茶やお菓子、
昼時になるとお惣菜やパンを出す。
そんなお店だったから、
いつしか、お客さん同士が時間を合わせて集い、
語らう場にもなっていた。
三波春夫がステージ上で語っていた
「お客様は神様です」
という言葉の真意を肌で感じていたあの頃。
私を怒る最中でも、
店の電話が鳴ると一瞬にして
声のトーンが高くなり、笑顔で応対する母の背後で
「大人ってウソつき」と、
イーってしたこともあったけど。
授業参観に姿を見せたこともない母に、
「私より仕事が大事なんだ」と
しょんぼりしたこともあったけど。
今思えば、それが
故郷に根を下ろした
母なりのプロの背中だったのだ。
18歳。
初めて行った美容室で
営業時間や予約という概念、
男性美容師の存在を知り、
おそろしく緊張もしたのだけど、
美容師のいろんな形態を
もっと早くに目の当たりにしていたら、
あの頃の夢を追い掛けて
大人になっていたかもしれないとも思うけれど。
それでも私は、
あの店の風景を、母のにおいを、
今でも誇りに思っている。