母への想い・・・ | cotohaのkotoba

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こんにちは、パクリンです(#^.^#)

運命の言葉という本の中に

「小鳥が空を飛ぶために創られているように
     人間は幸福になるために創られている」

開いたらこの言葉が来ました。

作者の解説に
5歳の息子が肺炎で緊急入院をしてその時、 
息子の身体をさすりながら
「大丈夫!大丈夫!大丈夫!絶対良くなる!!」
と祈りながら言っていたそうです。
その時、自分の両親の想いに気づき
「僕も、こんなふうに育ててもらったんだなぁ」
と思ったそうです。

そしてその時、
言霊研究家の山下弘司先生の言葉を思い出したそうです。

「みんな『幸せになりたい』と言うけれど、
 本当は大人になっている時点ですでに幸せな証拠なんですよね」と・・・

私は、母親の事を思いました。
私は、核家族でした。
父は自衛隊、母は専業主婦で、
父はひと月の半分以上は訓練で家にいませんでした。
そのため、母は町内の事や学校関係、
家庭のことを全てしていました。
母は肝っ玉母さんで、
怒ると怖いと友達の中で有名でした。
4人兄弟の3番目で遅い子だったので、
参観日に父や母が来ると、
友達に「おまえんち、じいちゃんとばあちゃんが来たな」
と言われ恥ずかしかった事を覚えています。
また、よそのお母さんを見ると、若くてきれいで、
遊びに行くと手作りのお菓子がある。
私の母は、太ってるし、年寄りだし、
手作りのお菓子は洋風ではなく、 
お餅やおはぎやご飯をあげて砂糖をまぶした昔ながらのもの。
美味しかったけど、恥ずかしかった。

でも、今日ふと思って開いた本のメッセージから、思い出しました。
私も3人の子供の親です。
病気になると、そばにいて苦しむ子供の痛いところをさすって祈りました。

そして、幼い時の私は、引っ込みじあんで、病弱でした。
幼稚園はほとんど休み、1年生のころもよく休みました。

夜寝れないと、母が一晩じゅうおんぶしていた事もありました。
泣いて苦しんでいる時、母はずっとそばにいた。
私の好きなものを作ってくれた。
たくさん、たくさん愛されていた。

嫌だった思い出は忘れない。
良い思い出はすぐ忘れてしまう。

今、母の私への愛に気づきました。
凄く愛されていて、私は幸せに生きていることを・・・
そして、今も同じように母が愛していてくれていることを・・・

生んでくれて、ありがとう。
お母さん。

そうそう、天国のお父さんにもありがとう。

パクリンの気づきでした(^.^)/~~~
PS 涙でぐじょぐじょです(T_T)