
参加しといてなんだが、どっちでもいい。
ただ長く生きるってだけなら願い下げだし、
かと言って志半ばで早死にするのも好ましくはない。
要は、本人の満足度だと思うんだが、どうだろう。
ただ、長生きしたいという気持ちはないな。
よく「死亡理由の~%がガンです」なんて保険会社の煽りで聞くけど、
それってガンが発症するほど長く生きるようになったって事だろう?
もちろん死ぬことは哀しい事だが、それだけだ。
克服しようとは思わんよ。
それから、最近よく見るんだが
『あなたが空しく生きた今日は、
昨日死んでいったものがあれほど生きたいと願った明日』
とかいうコピペに寒気を感じます。
おっしゃる通りではあるのだが、それが何だというんだ。
「あなた」と「昨日死んでいったもの」の一日は、
なにひとつとしてイコールじゃない。
「あなた」が活き活きと生きた今日だとしても、
「昨日死んでいったもの」にとっては何の価値もない。
「生きること至上主義」のこの感覚が怖くてしょうがない。
それを当り前として他人に押し付ける感覚が、怖くてしょうがない。
なんて傲慢なんだ。と思わずにはいられないんだ。
「生きたくて死ぬ人」と「死にたくて生きる人」
一体この二つにどんな差異があるというんだろうか。
どちらも、必死に望んだ事を得られないという意味では同等ではないのか。
とか、ちょいと真面目に語ってみたり。
チラシの裏ですまないね!
死ぬという事を、重く考えすぎなんだよ皆。
軽く考えるのもどうかとは思うけど、大切なのはバランスだ。