ところが最近はどうだろうか。


毎日がお祭りのように賑やかに、慌しく暮らしているせいか、


家庭で行われていた行事もすっかり忘れ去られ、


元旦や節分の寺社参拝、クリスマス行事といった


恒例化している行事でも本来の信仰としてではなく、


完全にレクリェーション化しているのではないだろうか。


遠い祖先からの伝統行事である五節句も、


かろうじて「桃・端午の節句」だけは分かるものの、


後は由来を知る以前に、いつ、何の節句があるのか知らない人も多い。


年中行事の場には家族がいて、隣人、客人がいて、町や村が顔を覗かせ、


もっともっとまとまりがあったはずが、少しずつ自然が失われ、


家族構成が減少し、人と人とのつながりが希薄になったことで、


年中行事の意義も薄れ形骸化してきたのであろう。


さらに、有り余る食べもの、旬が消えた食材に浸って生活していると、


あえて行事食をいただく喜びも、


それによって季節の移ろいを満喫することも無くなるのは当然と言えよう。


そして今はヒイラギや桃を引用するまでもなく、


セリやサトイモなど基本的な食材さえも分からない世代が増えているため、


益々遠のいていくことになる。


神々の食事から始まった「行事食」こそ、


今の和食の原点である茶の湯料理の懐石に言われる


「室礼(しつらい)」に通じるものがある。


「しつらう」とは「心をもって・関わりを持つ」の意味があり、


そこから飾りや調度をその場にふさわしく配置することと言われる。


日本の伝統行事にふさわしい決まった料理が食卓にのることで、


その季節の旬の食材をいただき、料理や食べ方、


またそのときしか登場しない漆器などの調度の扱いを学ぶなど、


「行事食」を家庭に取り入れることが暮らしの教えに大いにつながるだろう。


日本人としての喜びを感じる食卓を心を込めて演出し、


消え去りつつある文化を伝承して欲しいと願う。


そして「しつらう」ことは、人に対する思いやり、物への愛着など、


最近忘れかけた“心”を育てることにもなるだろう。


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