さっき、Googleで適当に検索してたら、


『未来~風の強い午後に生まれたソネット~』の


プロの人の批評を見つけた。


でも、人によって言ってることがまちまち。


それなのに、さも本人から楽曲について聞いてきました的に


決め付けで、書いてるのがびっくり!



『明けない夜は~』についてなんて、


「すっとこどっこいな自問自答~」とか書かれてた。


ファンだからひいき目で見てしまうと言われればそれまでだが、


それにしても失礼なコメントだと思う。



ってか、そもそも人って、自分の中にある物差で


人や物事を判断して、批評して、


それが絶対正しいと言わんばかりに


責め立てたりするのはなんなんだろう?


テストの答えじゃないんだから


正解や間違いはないんだからって思う。



最近、私から見るとちょっと変わった人たちに


会う機会が多いが、


皆は「あり得ない!」の一言で片付けるけど、


彼らの中では常識的なことなのだろうから、


私たちの物差で推し量るのもどうだろうと思ってしまう。


彼らから見たら、私たちの方がおかしいのかもしれないのだから。


すると、どっちが正常でどちらが異常かわからなくなってくる。




と、こんなことで日々悩んでいる夕陽でした。

特に書くことがないなぁと思っていたら、


4日間も更新をしていなかった…あららガーン



たぶん毎日いろんなことがあるけど、


それを言葉に表したいと思う感動がないだけだろう…。


たぶん今はものを感じるアンテナが壊れてんだろうな…しょぼん



昨日、今日と、友達の紹介で、聖書のお勉強会へ出席してみた。


まぁ、いろいろ思うところがあって…。




参加してみて思ったことを端的に言うと


“私にはイエス・キリストを自分の救い主として受け入れることができない”


だった。



キリストの教えにとても共感できる所もあったんだけど、


「私たちに不幸や苦痛が降りかかるのは悪魔のせいである」とか、


「真の平安と喜びを得るためにはイエスを信じなさい」とか言われると


「う~ん…」と悩んでしまうのだ。


無宗教の私にとっては、とても抵抗を感じてしまったのだ。




特に私がひっかかった点は、


「人間には魂がある(霊がある)が、


犬や鳥、猿のような動物には魂がない(霊的に死んだ状態)。


なぜなら、人間は悩んだり、苦しんだりするが、


動物は食べたり、寝たりといった本能的な行動しかしないから。」


というものだった。



でも、私はこたぴんを見ていると、


とても霊的に死んだ存在とは思えないのだ。


こたぴんだって、ひとりでお留守番をさせられて悲しそうにしてるし、


それよりなにより、私たちが喧嘩したり、調子が悪かったりすると、


心配そうに私たちの周りをクルクル回ったり、擦り寄ったりしてくるのだ。


こんなこたぴんを「霊的に死んでいる」とか「魂がない」とか言える?!


私は絶対に言えない!!




だからといって参加したことに意義がないことはなかった。


人って宗教に関わらず、何か信じられるものがあって、


それが自分の中心あれば、


多少の困難も苦にならないものなんだってことがわかった。



それに信じるものは一つで十分だってこと。


思想であろうと、特定の人物であろうとなんでもいいと思う。


人を信じるのは、裏切られるかもってリスクがあって大変だけど…。

結局、何かを信じること自体は悪いことではないから、

何を信じるか、信じるものとして自分にあっているものかを

よく考え、よく選ぶことが大切なんだなって思った。



と、とっても長い独り言でしたが、最後までお付き合いありがとうございました。




魂のないこたぴん  魂の抜けたこたぴん


謎の教祖 覆面こた  謎の教祖 覆面こた