フェルマーの最終定理 | cotameba





何度か書いているが,「坂の上の雲」 は2巻ずつ読み進めている.
記述が前後してしまったが,4巻と5巻 の間に読んだのが,この本.

サイモン・シンは以前から気になっていた作家.長編小説の間に休憩として読むにはちょっと重たいかなと思いつつも,他に手持ちの本がなかったのでやむを得ず読み始めたのだが,何てことはない,面白すぎてあっという間であった.

フェルマーの最終定理に関しては,以前に「数学ガール / フェルマーの最終定理」 を読んだのであらすじは知っていたが,こうやって小説として読むと,改めてその「物語」としての面白さを感じることが出来た.ほんと,よく出来た「お話」だと思う.質が高いのだ.以下,この「面白さ」や「質の高さ」に関する僕なりの感想を.

まずは何といっても,「ミステリー性の高さ」だ.
「物語」の発端となるフェルマーのメモ.これはあたかも,推理小説でよくある「ダイイングメッセージ」みたいではないか.ユーモアというか皮肉というか,何とも興味をそそられるメモである.このメモのせいで (おかげで?) ,後世,実に350年という長きにわたって,多くの数学者たちが悩まされる.

次に挙げたいのは「登場人物の多彩さ」.
この小説の一応の主人公は,フェルマーの最終定理を証明したワイルズなのだが,他にもたくさんの数学者が登場する.「出題者」であるフェルマーはもちろん,ピタゴラス (本文表記はピュタゴラス) ,オイラー,ガロア,ヒルベルト,などなど.いずれもその時代を代表する数学の巨人,大天才たちばかりである.この天才たち,天才であるがゆえというべきか,みなキャラクターが濃い.とてつもなく.天才と何とかは紙一重なんてよく言うが,まあいってみればみな「変人」なのである.この「キャラクター性」は何とも魅力的だ.

そして,この「天才性」とは一見相反するように聞こえるかもしれないが,登場人物たちがみな「人間くさい」のである.恋に悩んだり,自分が評価されないことに絶望したり,自らの正当性や,発見の先取権を争ったり.天才だって,人間なのだ.教科書に載ってるような偉人が身近に感じれて良い.この小説の主題を一言で表そうとすれば,「ひとつの数学的定理をめぐる,壮大な人間ドラマ」といったところか.

そして,これは日本人である僕の極めて個人的な感慨だが,「フェルマーの最終定理」という難問解決に,日本人が重要な役割を果たしているということにも触れておきたい.「谷山・志村予想」というものがひとつの重要なキーワードになっている.名前からわかるように,日本人である.かれらの物語は僕としては格別に印象深いものであった.

そしてそして,この小説だけでなくて,基礎科学全般に言えることだと僕は思っているのだが,この定理の中身が理解できたからといって,「生きていく上では全く何の役にも立たない」,ってことだ.「フェルマーの定理が証明できた!おめでとう!だからどうした?」,多くの人にとってはこの程度なのである.しかもこの証明を完全に理解できるのは世界中でも数人しかいないだろうほど,何ともイカツイ話なのである (命題は誰でもわかるほどシンプルなのだが).「そんなもの」のために,たくさんの天才数学者が膨大な時間を費やして証明に挑戦しては失敗し,その失敗を土台として次の挑戦者が現れて….ある意味「無駄」とも言えるこのサイクル,何て素晴らしいんだ,と思ってしまうのは僕だけだろうか.

(これだけだと誤解を招きそうなのでちょっとだけ補足.「フェルマーの最終定理」 (というか「谷山・志村予想」) が証明されたことには,大きな数学的意義があるようだ.「ようだ」というのは,僕には,意義があるだろうことはわかるが,その内容についてはよくわからないからだ.本文に詳しく書かれている.僕はその程度の理解,ということです.)

数学に疎い,というか,あんまり興味ない方にも是非オススメしたい一冊.テーマの性質上,どうしても専門用語がちょいちょい出てきてしまうので,独特のとっつきにくさはあるかもしれないが,細かいことには気にせず「物語」として読めば,きっと面白いはず.繰り返すようだが,ストーリー,構成,「キャスト」,キャラクター,どれをとっても一級品だと僕は思う.


この小説を読んで以来,僕には「数学熱」がきている.これまでは半分趣味で (もう半分は必要に迫られて) ,主に物理の専門書をちょいちょい読んでいたのだが,今は興味が完全に数学に向いている.多分に,「影響されやすいが飽きっぽい」性格なので,いつまで続くかは謎だが,「ちょっと数学初めてみっかな」という気になっている.これについては追々,気が向いたら (というか「熱」が持続していれば) また書こうと思っている.