大滝詠一、井上陽水、松本隆、筒美京平らのブレーンを務めるかたわら、「平井夏美」名義で『少年時代』(井上陽水と共作)、『瑠璃色の地球』等を作曲。中森明菜の音源制作にも関わってきた川原伸司さんに、いまこの時代に聴きたい音楽についてうかがう連載。Vol.10は松本隆×平井夏美×松田聖子による『瑠璃色の地球』について、歌謡曲好きライターの水原空気がインタビューします。
●『SUPREME』1986年6月1日発売/松田聖子。全作詞&プロデュース・松本隆。冒頭の『螢の草原』からラストまで世界各地の景色や物語が。松田聖子本人が作曲した『時間旅行』も人気。空港での再会が過去と未来のトランジットの役目を果たし、聴く人の心をリセットする。ラストを飾る『瑠璃色の地球』は合唱曲にも採用され、配信では常に人気上位曲に。シングルカットもないままだったが、コンセプト・アルバムの名盤として今も多くの人に支持されている。水原:前編の最後で、『瑠璃色の地球』には他の聖子さんの曲とは大きく違う試みがあるとお話されていました。川原:実は曲を作ったとき、前提として自分の中に『ガラスの林檎』に対するリスペクトがあったんです。水原:細野晴臣さんが1983年に聖子さんに書いた曲ですよね!?川原:はい。メロディそのものではなく曲の立ち位置について。音楽に詳しい方は思い当たるはずですが、『ガラスの林檎』はあえてmaj7(メジャーセブンス)を使わずに構成された曲なんですよ。水原:以前に川原さんが、聖子さんは初めてmaj7を多用したアイドルだとお話されていましたが、ドミソなら7番目のシをプラスするコードですよね?川原:聖子さんのプロデューサーの若松宗雄さんが、いつも「シュワーっとさせてください」とお話しされていましたが。それまで聖子さんの曲は、ニューミュージック系のアーティストを中心にmaj7を多用してリゾート感や都会的なおしゃれさに溢れ、それが新しかった。ところが『ガラスの林檎』はあえてmaj7を封印し、聖子さんの新境地を開いた。水原:確かに、凛とした荘厳な曲です。川原:自分もよく聴いていたプロコルハルムなどに通じていて。それで『瑠璃色の地球』もmaj7を使わず、マイナーコードも織り交ぜながら、従来の曲とは違った構成にしていったんです。聖子さんは当初、少し暗めに感じていたようだけど。キーもいつもより一音下げていたので。水原:だから『瑠璃色の地球』も特別な感じがするんですね。アルバムのテーマもしっかりとまとめていて。川原:「SUPREME=至高の、最高の」というタイトル案を初めて見たとき、松本さんに「コルトレーン?」と聞いたら頷いていましたね。ジョン・コルトレーンの『A Love Supreme』(1965年)を自分も好きだったので。水原:松本さんが全曲作詞された南佳孝さんの『冒険王』(1984年)にも「コルトレーン聴きながら」という歌詞が登場します。川原:佳孝さんも同世代ですから。『冒険王』のジャケットを描いた小松崎茂さんも、僕らが子供の頃に少年誌に連載していた方で、みんな夢中でした。水原:同世代の共通体験はわかる人にはわかるし、知らない人も意識下で惹かれますからね。もう一つ、松本さんの作品でいつも唸るのは、詞が歌い手にぴったりだということ。聖子さんなら前向きな可愛い女の子で、大滝さんはナイーブ、佳孝さんはダンディズムに溢れ、薬師丸さんは透明感、斉藤由貴さんは文学少女。川原:松本さんはその人の気持ちになりきって書く人だから、相手に同化してしまう。歌の内容に歌手本人も近づいていくし、逆にいつもとテイストが違うと、これは自分じゃないという話にもなる。もともと松本さんの言葉が先だったはずなのに。でもそういうとき松本さんは、すぐに直すんです。そんなことは滅多になかったけど、ご本人に本当にフィットした作品を作ることを、何より大切にしていたんだと思います。水原:松田聖子さんの印象は、どんな感じでしたか?川原:すごく明るくて気遣いもされる方ですよね。スタジオの片隅に初めてのスタッフがいたら、すぐに自分から笑顔で挨拶しに行くし。「素敵な曲をありがとうございます」と言ってくださったり。水原:それはみなさん感激してモチベーションもアップしますね。では歌手としての魅力は?川原:なんと言ってもデビュー当時から自分自身を表現し、誰かにやらされている感が一切なかったことです。聖子さん以前のアイドルは自己主張をせず、大人が作り上げた虚構の部分も大きかった。しかし聖子さんには「なりたい自分になる」という確固たる主張が常にあり。そこに、ファンやクリエイターもシンクロしていった。それはJ-POPの根幹にもつながる部分で、聖子さんは、松本さんと一緒に音楽ジャンルの境界を取り払った功績も大きいですが、それ以上に「なりたい自分になる」という現在のJ-POPアーティストに通じる原点を築いてきた。いまはアイドルもロックも、みんな自分自身を表現していますから。それでいて聖子さんは客観視もできるので、「プロのアイドル」としてファンタジックなステージを確立し、お客さんを楽しませ続けている。まさに現役のアイドルです。水原:作品もいい曲ばかりで配信上位にはいつも『赤いスイートピー』や『SWEET MEMORIES』『瑠璃色の地球』があります。特に『瑠璃色の地球』は教科書に載り、合唱曲にも選ばれて。川原:すごく光栄なことです。水原:海外のスタンダードにも通じるような普遍性がありますよね。川原:『imagine』(1971年)もジョン・レノンが感じたままを独白的に歌ったら、メッセージがリスナーによって歌い継がれていった。ビートルズの『Yesterday』(1965年)も、英国ではシングルカットされていないのに日本の教科書にも載り。同じような広がり方をしているのが嬉しいですね。水原:『瑠璃色の地球』は、手嶌葵さんバージョンや、川原さんがプロデュースした中森明菜さんのカバーも素敵です。川原:手嶌さんのオリジナルだと思って聴く人もいるでしょうし、明菜さんバージョンが好きな人もたくさんいる。もちろん松本さんの素晴らしい詞あっての曲なんですが。誰が作ったということではなく、最終的に歌い人知らずになるのが僕の夢なんですよ。純粋に歌い継いでもらえたら、それが一番嬉しい。
水原:この時期の松本さんと言えば、映画『微熱少年』(1987年公開)も忘れ難いです。松本さんの原作・監督で、公開日に観に行きました。川原:主役の斉藤隆治さんは斉藤由貴さんの弟で、松本さん自らスカウトしたんです。フレッシュな魅力に溢れ、ビートルズが日本武道館でライブを行った1966年頃の東京が映画の舞台でした。僕も、小説を出版してからメディアミックスで売り出していくプロモーション・アイデアを出したのを覚えています。水原:『SUPREME』に参加した久保田洋司さんのTHE 東南西北が映画の途中に登場したり、大滝詠一さんの『恋するカレン』(1981年)や聖子さんの『雪のファンタジー』(1987年)が劇中で流れたり。音楽を目指す若者たちのキラキラした青春が満載でした。川原:少し前にWOWOWで再放送されていたから、また機会があったらぜひみなさんにも観てほしいですね。水原:『微熱少年』は『SUPREME』発売1年後の1987年6月公開。同年5月には松本さんがプロデュースした聖子さんのアルバム『Strawberry Time』も発売され、同時期にたくさんのアイドルも松本さんの詞でデビューしました。この前後の松本さんの多忙ぶりはすごかったのでは?川原:松本さんも突然依頼が来ることが多くて大変だったと思います。中山美穂さんのデビュー曲『C』(1985年)も急にオファーが来て。彼女はドラマで先にブレイクし、デビュー曲も主演ドラマの挿入歌になることが決まっていたから業界のみなさんの思い入れも強かった。それで色々な候補作があったけれど、やはり松本さんにお願いしたいという話になり。でも作曲家が決まっておらず「川原も書いてみたら?」と松本さんに言われて…。最終的には京平さんの曲になりましたが(笑)。水原:川原さんバージョンもあったんですね。ドラマの主題歌だと、様々な大人の事情がありそうです。川原:そういう機会を頂くたびに勉強になりました。芳本美代子さんのアルバムでも曲を書かせてもらったり。実は松本さんの元に届いた作曲家のデモテープを一緒に聴かせてもらうことも多かったんですよ。水原:そうなんですね! 一番印象的だった曲は?川原:薬師丸ひろ子さんに松任谷由実さんが提供した『Woman “Wの悲劇より” 』(1984年)ですね。非の打ち所がなく、プロデューサー目線でも作曲家目線でも完璧な曲で圧倒されました。まさに傑作。水原:死生観が込められた歌詞もすごいです。『SUPREME』も世界中の景色や物語を描きながら、大きな人類愛に全体が包まれて。冒頭の『螢の草原』には命の尊さも描かれています。川原:松本さんは、どの曲にもちゃんとメッセージがあるから。水原:中山美穂さんの『WAKU WAKUさせて』(1986年)も一見ポップな歌謡曲だけれど「生き方を派手にしなよ」と。だから川原さんが、アーティストや他社のスタッフと自由に交流されていたお話も、すごくかっこよく感じているんですよ。川原:自分はきっと音楽を通じて、ある種の「文化運動」をやっていたんだと思います。聖子さんや明菜さんの新作が出なかったら音楽界にとっては大きな損失だし。陽水さんの新しい一面も皆さんに知って欲しかった。大滝さんの才能もあのまま埋もれさせるわけにはいかず。京平さんと新世代のコラボも見てみたかった。今の時代は一人でも音楽が作れるしYouTubeもあるのでメジャーデビューも必須じゃないけれど、一方で多くの人と音楽を作っていく楽しさもあると思うんです。80年代や90年代は様々な人がコラボし、作詞家や作曲家、編曲家やミュージシャン、歌い手、スタッフも意見を寄せ合っていたので。水原:松本さんや聖子さんの曲から、新しいアーティストの存在も教えてもらいました。意外性のある組み合わせが面白くて。川原:最近のアーティストも、コラボレーションしたらもっと世界が広がるはず。自分もまだまだ「文化運動」を続けている途中です。●川原伸司音楽プロデューサー、作曲家。日大芸術学部を卒業後ビクター入社、後にソニー・ミュージックエンタテインメントへ。ピンク・レディー、杉真理、松本伊代、The Good-Byeらの制作現場を経験しつつ、井上陽水、筒美京平、大滝詠一、松本隆らと交流。大滝詠一、中森明菜、TOKIO、ダウンタウン等をプロデュースし、松田聖子や森進一の楽曲制作も。『ジョージ・マーティンになりたくて~プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録~』(シンコーミュージック)が絶賛発売中!