父から受けた影響(その2) | Black Swan - 国際人養成所

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昨日の記事「父から受けた影響」の続きです。

僕の人生初めての家出はなんとも拍子抜けするくらいあっさり終わりました。
真冬だったのでめちゃくちゃ寒かったんです。(T▽T;)
岡山市内とはいえ田舎なので夜明しできるような遊び場もなく、衝動的に飛び出してきたので財布もなく、かといって自殺とか変なことを考える勇気すらなく、夜風で頭も冷やされて「出てきてはみたものの、どうしようもないよなー」と意外に早く我に返ってしまい、都合5時間くらウロウロしただけで夜中過ぎに家へ帰ってきました。

父は家にいませんでした。

まだ起きていた(当たり前か)母に聞いたところ、飛び出した僕を探しに友達の家とか心当たりがある場所を1件づつ頭を下げながら探して回った後、事故に遭ってるかもしれないと国道の方に車を出していたところでした。
そして、僕が帰ってから30分くらいして、父が帰ってきました。父も頭が冷えたらしく、喧嘩については何も触れずに「まー寒かったじゃろうからゆっくり風呂にでも入ってけー(入って来い)。」と静かに言いました。

お風呂から上がると父が待っていて、こう言ったんです。

「ずっと子供じゃと思よーたけど、おめーもつよーなったのー(おまえも強くなったな)。まだ殴られたアゴがいてーわ。」

特に謝罪の言葉とかなかったですが、なんかもうこの一言で全て許す気になれました
「心配した」という態度も見せなかったですが、母の話からどれだけ心配してくれていたかもわかってました。頑固でプライドが高い人間ほど不器用で、自分の気持ちを表現するのが下手なものです。

女性の皆さんには分かりづらいかもしれませんが、男って結構バカで単純な生き物で「拳で語り合う」ことで相手のことがわかったような気になることがあるんです。正にこの時がそうでした。
まだ中学生でしたが、少し大人として認められたような気がして、逆に息子に殴られる父親、家出されてオロオロ心配する父親が自分の中で絶対的な存在から対等な存在にいい意味で格下げされた感じがして、初めて同じ男同じ人間として父を見れるようになったんです。
逆に父の気持ちの中では、あの喧嘩を境に僕を一人の男として格上げしてくれていたんだと今では強く思います。

そうなってくると、人の見方は180度変わります
今まで悪いところ、気に入らないところばかり見えて嫌になっていたものが、逆に良い面を見れるようになるんです。

例えば、父はよく仕事帰りに職場の同僚を家に呼んで、うちの家族と一緒にご飯を食べるのが好きでした。家にお金もないのに大判振る舞い。
ご飯といっても父の同僚達も力仕事なので漏れなく大酒飲みばかり。さんざん飲んで食って、酔っ払ったら泊めてあげて、それら全てを母が面倒みなければなりません。性質(たち)悪い人だとうちの家族が寝ている間にうちのお金に手を付ける人もいました。そういう人とは翌日当然のことながら殴り合いの大喧嘩になるんですが、なんと1か月もすると仲直りしてまた家に呼んで泊めてたりするんです。
それまでは、単に他人に対してやさしく母に無理をさせる「外面(そとづら)がいいだけの見栄っ張りのお人好し」というイメージしかありませんでした。

でも、考えてみると我が家にはそうやって常に誰か家族以外の人がいて、色んな人と話ができて夕食はいつもすごく楽しかったんです。そのお金に手を付けた手癖の悪いおじさんも子供の扱いがすごくうまくて、当時プロレスにはまってた僕や弟にずっと付き合って遊んでくれるような人でした。あ、かけられる技は死ぬほど痛かったですが。得意げ

もし自分が父と同じことを今しようとしたとしても、家に呼ぶほど付き合いが深くなる同僚や友人も限りなく少ないし、自然と人が集まってくるような魅力を自分が持っているという自信はかけらもありません。小学校の通知表で「活発」と書かれるのと「落ち着きがない」と書かれるのが紙一重のように、いつも人を家に上げていることの良い面と悪い面の両方が見れるようになったんです。

また、それまではパチンコで仕事をさぼっていた時は「また仕事さぼってパチンコ行きやがって、全く親として、男として、人として最低!」と心の中だけでウジウジ思って怨念を増幅させてたのが、高校からは面と向って「オヤジ、また今日仕事さぼってパチンコ行っとったじゃろ?来月学校で夏服買うんじゃけー、今月しっかり稼いどいてもらわにゃー困るで。」といったことを笑いながら直接話せるようになりました

実際高校に入ってからは僕が大学進学と留学の可能性をほのめかしていた効果もあったのか、以前よりは仕事をまじめにするようになりました。元々本気を出せばすごいスピードで灯篭を仕上げる腕があり、給料は日当+仕上げた灯篭の歩合制みたいな仕組みだったので、中毒のパチンコで仕事さぼる回数を減らせばがんばっただけ手取りを増やすことができたんです。大学に入ってからは家賃補助分程度でしたが毎月仕送りもしてくれて、お酒を飲めるようになった僕は盆・正月に実家に帰って父と一緒に酒を酌み交わすのがすごく楽しみになりました。

僕や弟が成人してからは、実家に残っている弟の友人達が週末に実家に遊びに来て「おっちゃん、パチンコ行こうで!」と誘ってくれるようになりました(弟抜きでも)にひひ
その頃には父のパチンコは生活をかけたものではなく「いい趣味」のレベルになってたんですが、趣味が同じとはいえ息子の連れが慕って一緒に遊んでくれるくらい、父は親しみやすい人柄だったんだと思います。

自分に息子が生まれて親になって改めて、父のすごさを思い知ることもたくさんありました。
前回書いたように、その大喧嘩までは父に手を上げられたことや直接怒鳴られたことってなかったんです。子供を叩かず、叱らず育てることがいかに大変か、今はすごくよくわかります(ていうか、全くできてない)。
息子がかまって欲しくて何か言ってきているのに、「パパ忙しいから後でね」と言ったり聞いてるフリしてウワの空なんてことが僕はよくありますが、父にそれをされた記憶はありません。今の僕なんかより遥かにちゃんと子供と向き合ってくれる人でした。

父は僕が27歳の時、まだ50過ぎくらいの若さで珪肺という石屋の職業病が元で他界しました。昔の同僚の方(もちろん喧嘩で血まみれにした・された人も含めて)も大勢の人が参列してくれて、弟の友人達に至っては息子の僕達が逆に涙を誘われるくらい号泣してくれました。果たして自分が死んだ時にどれくらいの人がこうして涙を流してくれるだろう?と考えると、死んでなおかつ父は自分の偉大さを僕に教えてくれたのです。そして、今は胸を張ってこう言えます。

僕の最も尊敬する人は父です。
父のように周りに自然と多くの人が集まってきて、その人達に惜しみなく全てを与え、皆に慕われる人間になりたいです。

仕事も家庭環境も全然違うので父と同じやり方はできませんが、このブログやグルっぽで僕がやっていることは父の影を追っているのかもしれません。顔の見えないネットの世界ではありますが、なんとか多くの人が集まる場は作ることができました。
集まってくれた人達にいい影響を与えたり、そのことによって慕われたりという部分ではまだまだ父に遠く及びませんが、これから少しでも近付いていきたいと思います。

*******おしまい*******


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