皆様、思い出して欲しいことがあります。
どうして今、信仰してますか?
初めて信仰らしきことに触れた時、
何を思って携わったのでしょうか?
私の場合は「出家の決意」と言われて献身しましたので、
それはもう、自分のためという感覚はなかったです。
(私自身は大したことありませんが、背後の霊界が凄まじく後押しされましてね。神様には怒られ泣きつかれるは、先祖は喜ぶはで)
この世は「俗」と言われまして、
この世の君が支配している世界と感じ、
いったんはすべて捧げて出発するということで、
どうなってもいいとまでは思わなかったけど、
自分のことは後回しなんだろうと思ったものです。
祝福も受けられたら儲けもんで、
その上家庭まで持てたらなおよく、
私などに子供など産めるのだろうかとまで想像したものです。
なので生活のことまで考えている余裕もなく、
神様と出会い、世間の多くの出会いと、
自分を磨くことに精一杯だったと思い出されます。
神様はその人に必要とされるものは、
本人の努力如何により、きちんと与えてくれるものです。
それなのになんですか!
自分の責任分担もまともに果たせていない上、
他人様のものまで奪い取り、
なんです?心を殺して「生活のため」???
最低です。
それなら早めに「信仰」やめるべきですよ。
そしたら「生活のため」は許されることでしょう。
身の保全のために上層部にそんなのウジャウジャ要られたら、
下の者達は、ほとほと困るんですよ。
早く抜け落ちていただきたいです。
これじゃ腐敗した信仰団体ではないですか・・・
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