ドス黒いささやき (追記) | コスモスの心

コスモスの心

自分の中の 神様を信じて・・・思いのままを綴りたい。

たまには違う角度から、話をしてみようと思います。

神様のことはよく話をしていますが、
(信仰をしている者なら普通に証があるはずです。私もたくさんあります)
サタン、悪魔、魔物、悪霊人・・・というものは、
どんな感じなのか実感を持って話してくれる人は、
今のここの家庭連合カテにはいません。
(以前はいましたが、何処〜ですね。痛い目にあっている者達はいました)

でも実は実体的にここのブログ村は、
このような輩でごった返しております。
以前にも増してね・・・
(すいませんが、私には感じていると言っているのに、信じる信じないはご自由にどうぞ。ここに来て7年前後になりますが、取り憑かれた人達は消えざる終えません。動機が悪いから)

み言勉強不足や、霊的感性なしなのか、
ありきたりの事しかわからないようですが、
サタン(天使長ルーシェル)は元の位置に戻っています。
でも今も堕落性に引きずられて、堕落天使に逆戻りしているようです。
(もちろん完全に戻っている天使もいる)
サタン軍団?のようですから、
地上に生きている人間の数よりも多いそうな・・・

全て信じて欲しいとは言いません(それは危険です)。
私とて沢山ある中で吟味して出しますので、
まんざら「違う!」とは言えなさそうなものです。
そう思えたものを公開しますので、
わかる人には分かることでしょう。

以前にも私のところに来たのですが、
(私に「邪魔するな!」と首根っこをつかんで脅している)
もう支配?していた者は自分の配下に落としたのか、
今度は別な者に付いて、また私の前にやって来ました。
(また挑みに来た?私に触れるの?またつかれた者は自ら墓穴掘るよ)

相対基準を簡単に結べる人が、いたようです。


この話は私の体験談で、
妄想でも空想でもないことを言っておきます。


その場所は何もない空間であり、
普通の感覚においては、特別なものは感じられません。

私はある者に、ものすごい勢いで、
話を聞かされています。
あまり背は高くなく、初老じみており、
やぼったい服装をしていました。
肩からは時代遅れの黒いカバンをかけ、
手にはノートとペンを持ち、
気でも狂ったようにジェスチャーをしています。
顔面は目を吊り上げ、
ありったけ?の声を出して叫んでいるのか、
唾を飛ばしながら話しています。

私はその者の話を2mぐらい開けて聞こうとしているのですが、
なぜかまったく音(声)が聞こえないのです。
それで「聞こえていない」と教えようとするのですが、
あまりの勢いに口を挟む暇がないため、
不思議(困ったように)そうにその者を見ているしかありません。

でもその私の様子が気に入らないのか、
また更にその者はイライラ怒り出し、
精神病者みたいに怒り狂って話を続けています。

とにかくその者の音(声)が、まったく発せられていないのは、
意味のないことを言っているのだろうと、
その場で私は感じているのです。

その空間は音が聞こえないところなのだろうか?
いや、違うようです。
その者からはすべての音が聞こえないだけであり・・・

どこからか聞こえてきます。
そう、その者の背後から・・・
低い声でボソボソとつぶやいているように、
独り言のようでした。
私が見えて聞いているとは感づいていないようです。
(自分は見えていないと思っている)

全身真っ黒装束で、以前と同じようにえの長い鎌を待ち、
その者の背後で足を組み横向きに座り、
指先で操っているのです。

以前はフードから細長いギラギラの目しか見えませんでしたが、
今回は顔を出していました。
口は耳まで避け、唇は薄く、
舌は細長く先は割れていました。
そう!正体は擬人化した蛇のようです。
(知らずか自らの正体を明かしている者がいる)

薄気味悪い笑みを浮かべながら、
「こいつは俺の野心を楽しませ、
欲望を満たすには格好の獲物さ。
全ての堕落性を持ち合わせ、
少しでも誘発させれば、
いとも簡単に話、動き出すのさ」

そして口からはドス黒い煙を吐き、
その者に吹きかけると、
真顔から変化し、唾を吐きながら剣幕になり、
指先でその者の背中をつつくと、
まるで壊れたブリキのおもちゃのように動き出すのです。

その者の背後の者は、
全身からドス黒い煙のようなものを出しており、
周りは薄暗くなり、腐った酸っぱい匂いが漂っています。
もちろんその者からもです。

続けて
「こいつは大バカなのさ。
霊性も無ければ、信仰感もない。
だから俺達のことも信じないだろう。
こういう奴は使いやすいのさ。
その上、俺達の好きな『傲慢』という食べ物を提供してくれる。
気付くことなどできなく、自分の欲だと思っていやがる。
世の中悪に向かわせている事など感じられず、
自分の虚栄心ゆえに、社会のため!?はははは・・
見栄を張りながら満足してるようではな、
魂を抜き取られて朽ち果てていくんだな。ふはははは・・」

私は目の前の者より、背後の者の様子をすべて見て聞いて、
恐ろしく、なんと言っていいのか、
冷たい霊気と鳥肌どころではなく、
「ゾッ!」と髪の毛の先まで凍りつきそうです。

なので目の前の精神病の者は、
まったく恐ろしく怖くもなんともないのです。
動作と口パクだけで、操り人形と同じであり、
なんと言っているのかも聞こえないのですから。
(これは神様の計らいのように感じました)

でも私は「この状態をどう収集しようか」と考えていると、
なにやら熱い視線を感じ、私の少し斜め後ろを見ると、
そこにはそちらの様子を見張っている光り輝く軍勢が、
今か今かと待機しているのです。

私にも責任分担というものがあり、
超えなくてはならないものがあるのでしょう。
「何かあらば!」とギリギリまで待機しているようです。

その後援軍達を見て安心したのか、
「ゾッ!」とする霊気を感じつつも、
力が湧いてくるところで・・・

すべての映像は消えてしまいました。
霊界は私に必死になって教えているようであり、
もうすでにはっきり「善と悪」が分かれるているということです。

この者はもうすでに落下状態で、
これからもさらに落ちていきますよ。
ある程度落ちたら、離れるとは思いますが、
「しまった!」と気づく頃には、
「悪の烙印」を押されていることでしょう。
その者についている輩達も同じです。
(もうすでに集まる人達は冴えない人ばかりであり、人数も減少しながらもウネっています。大人になりきれないまま気持ちは止まっているかもね。本物でないから見栄を張りながら飾るんです)

今ここに証しますが、
これが初めてではなく家庭連合カテにおいて、
以前から少なくても3人以上がそのようになっています。
(ここでは話せませんので、限定記事にと考えています)


笑っている者は今のうちです。
何度もお伝えしているのに、
悟らず「人権蹂躙と人格殺人」をしている者達は、
ドス黒い者の餌食となって行きます。
これを作り話と思う人はそれでもいいですが、
自分の内面をチェックできるのであれば、
十分に参考にはなることでしょう。



ちょうどいいみ言がありましたので、
ご自分で整理されてくださいませ。

神の戦法・サタンの戦法(11月19日)
Nov.19.2017 今日の訓読のみ
(メシヤと我々 1972年4月23日 『文鮮明先生御言選集55』)


 サタンの戦法は、打って滅びる戦法である。自分の利益のために人を犠牲にし、成功しようとする戦法である。神の戦法は、自分を犠牲にして打たれて勝利しようとする戦法をとっている。これはまるっきり違うんだね。
  
 サタンの戦法はどうか、悪人の戦法はどうか? 悪人は自分のために他を足で踏みつけて、自分が成功しようとするものである。善人は奉仕してみんなを良くしようとする。そうすると、自動的にみんなを引き連れて入る。中心人物として立たせられるようになる。ここには、戦わずしてすべてが占領される道が生じてくる。だから神は早く良くしてやろうという戦法で、負けたことはありません。 

 過去の聖人たちは、打たれて歴史を経るにしたがってだんだん打った国の後孫が、打たれた者の僕になってしまうという結果になって、発展してきている。それが歴史の事実である。原則はこういうふうになっている。だから統一教会はこの戦法をとる。

 例えば、2人の兄弟がいる。兄さんと弟さんがいる。満20歳の兄と10歳の弟がいる。
その場合に、親は兄さんに毎日相談をするんだね。しかし、そういう兄さんが何の罪も犯していないその弟に対してぶったならば、何の悪いこともしていないのに手をつけたならば、父母が兄さんを中心としていたすべては直ちに崩れてしまうのです。そして弟のほうを助ける。絶対的にそうである。なぜ弟をいじめるのか。何が悪いか。それに反発した場合には永遠に切られてしまう。
  
 だから善悪はどこから始まるや? 先に被害を与えたところが悪である。いくらいいことを言っても、被害を与えた場合には悪に終わる。これをはっきり知らなければならない。悪くないのに、その国が攻められた場合には、攻めた国が攻められた者に支配される。その原則を、はっきり知らなければならない。統一教会の食口としてもいい人はいい人である。カイン・アベルである。被害の動機になった人、それはカインである。エデンの園において天使長はアダム・エバに被害を与えた。被害を先に被らせる者が悪である。それを治めるのが法律である。被害を与えた者が善か悪か? それは一般社会での悪、サタン世界の悪も通じるんだよ。
  
 人を見るとしても、ほほえみながら気持ちいい姿をした人をみな見詰める。気持ち悪い人相をした場合には悪だ。だから向かい合う時には、必ずほほえみながら頭を下げる。これは恐ろしい戦法である。これが善悪の分かれ目である。 

 話をする時にも謙遜な者傲慢な者。一人は春に小鳥がさえずるように歌いながら、気持ちいい姿でもって話をする。一方は傲慢な姿でもって、ぷんぷん言う。見ただけで気持ち悪い。人間は笑顔でいつでも歌いたい。口を開ければ歌う。そういう気持ちを持った者に悪人はいません。
  
 被害を与える者は悪である。被害を被る者は善である。そうして悪の被害を与えられた者が黙って、そのままの道を続けていくならば、悪を犯したすべての者から戦わずして相続する素晴らしい道がある。これをイエス様はよくよく知っている。研究したらそうなっている。



☆ お知らせ (追記)
アメンバー登録を申し込まれる方へ。

とても嬉しいことなのですが、
ことには順番というものがありまして、
いきなりの申し込みはお断りいたします。

ブログ記事もなし、なんの交流もなし、
誰なのか全く知らない!???

そんな方をお招きすることはできませんので、
申し訳ありませんが、お考えください。




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