愛の実例

真珠湾攻撃隊長 淵田大佐 と コベル宣教師夫妻 実話
コベル宣教師夫妻は1919年アメリカから日本に宣教師としてきて、関東学院
で20年間地味な宣教活動に明け暮れた。1939年第二次世界大戦が近づくと戦
争反対をさけんだ。国外追放となり、船に乗って日本を離れていくとき、遠くかすん
でいく富士山を見ながら船のうえで手を取り合って泣いて祈った。『日本の土とな
るために日本に来たのに残念です。』と。
二人はやがてフィリピンのパネイ島に宣教師として遣わされた。二年後の19
41年日本軍がパネイ島に上陸し、二人はジャングルの奥深くへ逃げた。
ふもとの村でフィリピンの女性と子供たちが日本軍につかまり首をはねられる
と言う噂を聞いて出て行き女性や子供を処刑すべきでないと必死に抗議した。しか
し、コベル宣教師のカバンの中にあったラジオでスパイの疑いがかけられ遂に処刑
されることになってしまった。処刑される前に時間をくださいといって日本人のため
に祈って首を刎ねられていった。13の首が血しぶきをあげて宙に舞ってパネイ島
の白い土を赤く染めた。1943年のことです。
奇跡は何も起きなかった。そのときの様子をやがてひとりのアメリカ人が『輝く
凱旋門を通って』という一冊の本の中で紹介した。『この崇高な宣教師夫妻の最後
をじっと見ていた日本軍の中にやがて神の愛を信じてキリストを信じる者が起こっ
てこないといったい誰が断言できるだろうか。これは彼らの終わりではない。これ
は実に彼らの始まりである。』と。
その中の代表的な人が真珠湾攻撃隊長淵田大佐でした。真珠湾攻撃を描
いた映画がトラトラトラです。大佐は日本の敗戦に絶望虚脱状態で悶々とした日々
を送っていました。そこへかっての部下がアメリカの捕虜収容所を出て挨拶に来ま
した。
『お前たち収容所の地獄を味わっただろう』
『いえ、収容所の数年は天国でした。白人女性が食料も、薬ももって来て励 ま
してくれました。あんまり良くしてくれるのでそのマーガレットという女性に聞きまし
た。』
『私の両親は20年間日本で宣教師として働き、その後フィリピンで日本軍に
殺されました。私は日本を憎み、日本人を憎みました。しかし両親は処刑される直
前、30分間の祈りをささげたと言うのです。何を両親は祈ったか、考えました。そし
て、それは決して日本人を懲らしめてくださいというのではなく、最後まで日本を愛
して、自分たちを殺そうとする日本人の救いを祈ったに違いないと思ったのです。
だから両親が最後まで愛した日本のために自分も働いているのです。』
彼女はコベル宣教師の長女です。そして、妹のアリスも自分の給料を日本人の
救いのためにささげていました。彼女が日本語の聖書を持って来てくれたので彼ら
はキリストを信じたというのです。
この話を聞いた大佐は自分も渋谷で聖書を求め貪るように聖書を読みまし
た。そして『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのかわからないので
す。』という主イエスの祈りを見つけ彼もキリストを信じる決意をしたのです。その後
大佐は神学校で学び、牧師となり、再び真珠湾を訪れました。真珠湾攻撃の司令
官が牧師となって真珠湾にやってきたということで世界を駆け巡る大きなニュース
となりました。
歴史上最も残虐な恐ろしい十字架に釘付けた者たちのために、その罪を赦
しとりなして祈ったイエス・キリストはコベル宣教師たちやその子供たちに働きかけ
憎しみを真実の愛に変える存在です。
1943年にフィリピンのパネイ島でコベル宣教師たちは自分達の首を刎ねる者たち
のために祈って死にましたが、その同じ1943年にこの世に生を受けた者として
非常に感動いたしました。




