幼少期の記憶といったら、
楽しいこともあったはずなのに、
思い出されるのは、
親に怒られたり、叩かれたりした記憶ばかりだ。
鬼の形相の母親。
怒鳴る声。
叩かれないように、
頭を手で覆う。
声を出して泣こうものなら、
「うるさい!」とまた叩かれる。
だから私は、
お腹の底から込み上げてくる声を
喉で無理やり押し留めた。
喉の奥が詰まり、
息がとっても苦しかった。
家は、野中の一軒家だった。
兄弟もいない。
祖父母もいない。
近所に住んでいる人もいない。
父が仕事に行っている間、
家の中では母親と2人きりの時間が続いた。
母親のストレスの矛先は、私に向かった。
父は、結婚した途端にモラハラに豹変したらしい。
家事も育児も非協力的で、
乳幼児のいる一間しかない家に、
父の友人たちを招き、
タバコを吸い、宴会し、泊まっていく。
母の負担はどれほどだったか、
想像に難くない。
子どもながらに私は、
「お母さんも大変なんだ」と
理解しようとしていたつもりだった。
けれど、
常に緊張感のある家庭で、
「親から怒られる」ということは
恐怖でしかなかった。
我慢強く、良い子でなければ
生きていけない。
そうやって私はいつの間にか、
「良い子を演じて、大人に迎合する」
術を身につけていった。
暗雲立ち込める気配を感じると、
親の顔色を伺い、
「怒られないため」の正解探しを始める。
けれど、正解はなかった。
親の機嫌次第だったから。
親にとって都合の良いこどもであること。
それが褒められる「良い子」。
何か言動すること=怒られること
とインプットしてしまった私は、
次第に、
「自分がどうしたいか」
「自分が何をしたいか」
分からなくなっていった。
選んで良い場面でも、
どうしたらいいのか分からず
迷ってばかりいた。
自分の基準を持つことができなかったから。
この幼少期の体験が、
大人になった私の人間関係や、
「恐怖心」と深く結びついていることを、
当時の私は知る由もなかった。
・・・続く
次回は「大人になってからの恐怖」について綴っていきます。


