ある会社役員の方の手記をご紹介します。



敷居を跨げば、温かく迎えてくれる人がいるというのに、私は、その一歩の足を上げることができません。

格子戸に手をかけたものの開ける勇気も力もなく、惨めな思いで立ちすくんでいました。

今夜は子供たちが、母のために感謝と健康を祝って、各自が母を喜ばせる贈り物を土産に持って来ます。

そして、間近に控えた正月の小遣いを手渡し、家族揃って飲んだり、食べたりして一年間を振り返って語り合う楽しい集まりの日なのです。

しかし、私は母に差し出す小遣いどころか、菓子折りの一つも手にしていないのです。

月末も数日と迫ったある日、突然、何の前触れもなく、裁判所より、一番の得意先の倒産したことと、売上金の支払い停止の通達とが、冷酷にも出勤早々告げられたのでした。

スタッフの一員でもあり、営業担当でもあった私はその日から、経済的にも精神的にも追い詰められていきました。

そのため、兄弟の間で取り決められていた毎月の母への仕送りの約束事を果たす余裕さえ無くなりました。

仕送りの滞りについては母は一度も催促をしたことはありませんでした。
むしろ、私の健康ばかり心配していてくれました。

母は、私を兄弟のうちで誰よりも頼りにしていました。

この歳になっても、一人暮らしをしている私に、まだ子供という感情が残っているせいか、いつも安心して心を開いてくれるのでした。

師走恒例の兄弟の集まりを目の前にすると、母の心が手に取るように頭に浮かぶだけに心が痛みました。

母に詫びよう。一度だけ甘えよう。恥を覚悟で思いきって出かけたものの、家の敷居が高く、勇気が崩れてくるのでした。

「引き返そう」。私が心に囁いた時、突然、「まもるおじちゃん」。兄の孫に声をかけられて、私はその場に釘付けにされたのです。

「おばあちゃん、まもるおじちゃんだよ」。その幼い声に応えて、人の足音が近づいて来ました。

知らず知らずのうちに、格子に背を向けようとする私を、ぐっと引き止めるかのように、優しい愛のこもった母の声が聞こえたのです。

「まもるさん、何してんの?寒いのに。早く入って、入って」。
そして、さり気なく私の耳元で囁きました。

「家に入ったら、私の言う事に何も口出ししては駄目よ」。そう言い残すと、先にどんどん奥に入りながら、「さあ、これで全員揃ったわね」。

母は、わざとはしゃいでみせてくれたのです。

気まずさと、哀しさで畏縮している私に気がついていたかのように、「お待ちどう様。さあ、いただきましょう。あっ、まもるさん、お父さんにお線香あげて」。

私が仏壇に手を合わせている後ろで、私に語るかのように、母の一段と明るい声がしました。

「今日のご馳走は、私の奢り。先日、まもるさんから沢山のお小遣いを送ってもらったから」。「わあ、先にもらったの?」

母の心遣いに胸が痛んで、兄弟等が何を語り合っているかさえ耳に入らない程でした。

母は、何もかも承知していたのです。

年は取っても、母は、あくまでも私の母であり、親不孝をかけていても、私は、いつまでも母の子供なのでした。

私が長いこと仏壇に向かって手を合わせながら、母の優しさに泣いていることに、母は気がついていたのです。
母の突拍子もない大きな声でそれが判りました。

「このお寿司、わさびの効きすぎ。涙が出てきちゃう」。
母は、私の心がいじらしく、共に泣いてくれていたのです。

涙をわさびのせいにして、私に肩身の狭い思いをさせまいと、一生懸命に芝居をしてくれていたのです。

「ありがとう、母さん…」。

この場は精一杯明るく振る舞うことが母に対するせめてもの感謝の気持ちと思い、それから数時間、私も心にもなく、はしゃいでみせたりしました。

「さあ、まもるさんも遠いのだから帰った方がいいわ。あっ、これ。あなたの好きなお茶。買っといたから、母さんの気持ち。大事に持って行って」。

紙袋をちょっと開いて、母が見せてくれました。お茶の他に紙包みが入っていました。見ただけで札束であることが判りました。

私が、はっとして、母の目を見ると、二、三回目ばたきをして、「何も言わずに持ってお行き」と語っているようでした。

うなずくのが精一杯で、私は兄弟等に早々に挨拶して外に出ました。
とたんに、こらえていた涙が、どっと溢れて、腹の底から、わぁっと込み上げるものを押さえきれませんでした。

コツコツと貯めた父の残したわずかな年金を、私のために惜し気もなく手離してくれたのです。

九十に近い母が、家族に遠慮しながら寒風の中を杖をつき、郵便局に預金を引き出しに行く小さな姿。

引き出し請求の用紙に、戸惑いながら一字一句、間違いのないように気を遣い、息子のためにペンを走らせている姿が、目に痛く浮かびました。

母なればこそ、私のために泣き、気を配り、芝居をし、誇りを守ってくれたのです。

子供より体も小さくなり、気力も薄れたというのに、子供の頭に白髪が生え、頭のテッペンが禿げ上がっても、母はやはり母でした。

母子の絆の計り知れない深さと、血の尊さをしみじみ感じました。


母の心に報いるために、新年からは一層努力しなければと決意して、母の住む家を振り返り、振り返り、力強く私は歩き始めました。