ピュア・ラブ・ムーン・ワールド-notitle0261.jpg

ある主婦の記事を紹介します。



我が家の長男が小学五年生の時のことです。


始業式の日、長男は五年生になって初めて男の先生の担任になり、学校から帰ると、ハァー、ハァーと息を切らしながら、S先生のことを報告してくれるのでした。

S先生は、スポーツマンであり、二歳になるお子さんの父親であり、顔は眉毛も目も八の字であったことなど。

私の頭に、にんまりとした笑顔のS先生が出来上がりました。

S先生の参観の時の授業はほとんど「道徳」でした。
生徒も父兄も視線は黒板の前に立っているS先生の方に向けられています。

シーンと静まりかえった教室から、「僕が一番最初に言ったことを覚えている人」と、先生が生徒たちに聞くと、

生徒たちは全員挙手し、「先生は花が大好きです」と一斉に答えました。

「そう。よく覚えていてくれたね。先生嬉しいな。ありがとう」。S先生は満足そうに微笑みながら、

「君たちはこの机にある花を見て何を想像するかな?」と質問し、挙手した生徒の中から、うちの長男が指名されたのです。私は一瞬緊張しました。

「静。それから美を想像します」。

「そうだね。先生はよく言うだろう。掃除は決して楽しいものじゃない。けれども、掃除をした後は綺麗になる。それを想像しながらしろって。綺麗になった廊下を人が歩いてくれる時の気持ちになれって」。

この当たり前のような言葉が、私にはとても新鮮に聞こえたのを覚えています。

それから、今までの長男からは、とても考えられないような行動が徐々に現れ始めました。

自分の部屋の掃除から、食後の食器洗い、お風呂の掃除、お花の水やり等、何でも自主的にするようになったのです。

そして、「何か僕にできるお手伝いなあい?」と聞くのです。
私は「ありがとう」と言いながら、長男のあまりの変化にどう対応していいのか戸惑うほどでした。

心身共に成長期になっていたのでしょうか。この頃、身長も一番伸びていたようです。

長男はこのまま成長してくれるものと思っていました。が、六年生の六月頃から眼に異常が現れ始めたのです。

五年生まで、右眼1・0、左眼1・2の視力が、急に右眼0・004、左眼0・08にまで落ちていたのです。

日常生活にはほとんど支障がありませんでしたが、見ようとする中心部が見えないため、文字を読むことができなくなってしまったのです。

そのため学校での授業は全て耳からのみで聞いて教わるしかありませんでした。
テストは白紙ばかり持って帰るようになりました。

動転した私は、それから病院を何軒連れ歩いたことでしょう。しかし、どこの病院へ行っても同じ結果でした。

「原因不明の急性視神経炎」と診断されたのです。
現在の医学では治療法がないのだそうです。視神経を冒された眼は、眼鏡を掛ければ見えるというものではありません。

長男は小さい頃から本を読むことが大好きでした。私は、長男が学校へ行っている間に本を読んでテープに吹き込んだり、教科書を大きな字に書き替えたりするのが日課になりました。

そんな日々の中で愚痴一つ言わなかった長男ですが、さすがにある時、

「僕、授業は先生の言うことを聞けば理解できるんだ。でもね、母さん……、席の順に本を読むとき……」と言って、悲しそうに口をつぐんでしまうのです。

私は、1日も早く彼専用の教科書を作らなければと一生懸命でした。

そんな時、その年の最後の月も残り少なくなった頃、懇談会がありました。

突然、S先生が、「お母さん、お子さんの眼については大変ご心配のこととお察しします。
成績のことですが、時々、ペーパーテストでなく口頭でテストしたり、授業の様子を見た限りでは、以前と実力は落ちていないと判断しております。

そこで、お子さんのいない時間をつくり(男子生徒は外の掃除をさせている間に)女子生徒たちでお子さん用の三学期の教科書を手づくりしましたので、ちょっと見てやってくれますか」

そう言って、国語、算数、理科、社会と大きな字に写し替えられた分厚い教科書を見せてくださったのです。

目の前に置かれた四冊の教科書は、鉛筆で大きく、それぞれの自筆で書かれていました。

それはまるで、クラスメート一人一人が、一文字、一文字を読んで話しかけてくれているような気がしました。

あまりにも温かい思いやりに私は、胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを、こらえられませんでした。

溢れる涙は頬につたわり、声は泣きじゃくるほどになってしまったのです。
先生の声が微かに聞こえていました。

「お母さん、これは終業式の時、生徒たちの前で直接お子さんに手渡したいと思います」と言って、大切に保管して下さいました。


終業式の日、その手づくりの教科書をプレゼントされ、涙で真っ赤になった眼で長男は言いました。

「お母さん、僕、教科書をもらった後、嬉しくて、たまらなくなって、水道の水を流しながら何度も何度も顔を洗う真似をしたんだ」と…。

S先生は、手づくりの教科書から長男の見えにくくなった眼に、クラス全員の虹のように綺麗な眼をプレゼントして下さったのです。

長男が小学校を卒業すると同時に、我が家は広島に転勤し、引っ越して数年が経ちました。

多くの人たちの愛と優しさに包まれながら、現在長男は、単眼レンズと望遠レンズを使用することにより、一人で勉強できるようになりました。

次男も小学五年生を迎え、新しい出会いが始まろうとしています。
私も一緒に出会いを大切に歩んでいきたいと思います。


手づくりの教科書。
それは我が家の心の窓であり、一生大事にしたい貴い宝なのです…。