韓国は、今年で建国65周年を迎えましたが、韓国と日本の間には今でも多くの問題が存在し、両国の関係は必ずしも良好とは言い切れないのが事実です。
そんな中、過去の歴史を振り返ってみると、1953年に起きた朝鮮戦争によって父母を失った孤児たち300人以上を世話し、韓国のために尽くした日本人がいたのです。
その人の名前は「望月カズ」。“38度線のマリア”と呼ばれ、日本人として、また多くの孤児の母として韓国全土に影響を与えた人物です。
望月カズは、1927年に東京の杉並に生まれ、4歳の時に母親と共に満州(現在の中国東北部)に渡りました。
しかしその2年後に母親が亡くなり、カズは農家の奴隷として転売され、こき使われる苦しい生活が6年間も続きました。
やがて日本軍に助けられ、太平洋戦争の終戦と共に帰国しましたが、母親が眠る満州が恋しくなり、朝鮮半島を通って満州入りを決意します。
そして38度線を越える時にカズの運命を決することになる朝鮮戦争に巻き込まれるのです。
カズは北朝鮮軍が進撃してきたソウルにおいて、男の子を抱えた母親が銃弾に倒れるのを目にします。
カズは自分自身が孤児として苦労しながら育ったので、その男の子を見捨てることができなかったのでしょう。
母親の返り血を浴びて、血まみれになったその子を思わず抱きしめ、一緒に避難することにしたのです。
戦争はさらに激しくなり、少量の食料と毛布一枚を持って釜山まで避難しますが、その途中でも同じように父母を失った孤児を引き取りながら南下します。
そのようなことを続けていくうちに、やがて釜山に着いて生活を始める頃には、子供たちの数は18人になっていました。
ただでさえ戦争で苦しい生活を強いられている中で、18人の子供たちを育てるためにカズは必死に働きます。
市場に行って魚の頭や野菜くずを拾って食料にしたり、港に落ちている軍手の糸を解きほぐして子供たちの衣類に編み直したりしました。
また、お金を稼ぐために時には自分の体の血を売りながら、子供たちを育てていったのです。
1963年、カズは理髪師の資格を取り、海辺で青空理髪店を開きます。カズは髪を切るのが非常にうまく、その頃から「愛の理髪師」と呼ばれ、多くの人たちがやって来たそうです。
年上の子供たちは小さな子たちの面倒を見、雨が降る日は家族みんなでお餅を売り歩いたりもしました。
幼い頃に父親がいなくなり、母親とも死別したカズにとっては、家族みんなで支え合う生活は、貧しいながらも幸せだったのかも知れません。
やがて戦争が終わり、カズたちはソウルに戻ります。
そこでも相変わらず苦しい生活が続きますが、戦争によって多くの孤児が生まれ、カズの元で暮らす子供たちもいつの間にか増えていきました。
面倒を見る子供たちの数が増えるほど生活は苦しくなるはずですが、父母を失った子供の境遇や人生を考えた時、とうてい見捨てることはできなかったのでしょう。
カズはその後も親を失った子供たちの親となり、深い親の愛で子供たちを愛し続けました。
家にはいつも多くの孤児がいましたが、一人一人と母と子の因縁を結び、時には優しく、時には厳しく育てました。
「うぬぼれない、卑屈にならない、謙虚にうやうやしく、振る舞う」ように教えられたと、カズの元で育った孤児の一人は言っています。
カズにはまた、様々なエピソードもあります。
1964年、ソウル名誉市民賞を授与し、1967年の韓国の独立記念日にあたる光復節には、何と第一回光復賞を日本人であるカズが授与されたのです。
卑屈な生き方を嫌い、甘えを許さなかったカズはまた、日本人としての誇りや精神も失いませんでした。
家の壁に、ダルマの親子の絵を貼ったり、いつも服装は和服にモンペ姿で通し、端午の節句には堂々と鯉のぼりを立てていました。
1971年、時の大統領である朴大統領から、韓国名誉勲章と冬柏賞が贈られたのですが、その際、カズはいつも通りの和服にモンベ姿と下駄履きで授賞式に現れたのです。
周りにいた政府の人たちが慌てて「せめて、靴だけでも履き替えてください」と言いましたが、カズは
「私は何も持っていませんので、これで駄目なら帰ります」と言って、その姿で堂々と賞を授与しました。
日本人の女性でありながら、たった一人で身寄りのない大勢の孤児たちの養育に自らの生涯を捧げ、日韓友好の架け橋ともなった望月カズ。
そのカズは、1983年11月12日、ソウル市内の自宅で56歳の生涯を閉じました。
カズに育てられた孤児の一人の方が、カズの葬式でこういう手紙を送っています。
「温室の花のごとく育てず、いかなる暴風雨でも耐え得る根の深い木に成長させようとなされた深い愛。かくも多くの愛を我らの胸に残されて、どうしてそんなに忽然と去られますか。母ちゃん!今は安らかにお眠りください」…。
ただひたすらに無私の愛をつらぬき、父母を失った子供たちの幸福を願い続けたカズの人生を通して
私たちは、子供のために必死で尽くす親の姿、子供の幸福を何より願う親の心情といったものを教えられるのです…。
