cosmos2013さんのブログ-notitle0216.jpg

ある結婚コンサルタントの方の記事です。


昔と違って今は、三世代同居の家庭が少なくなっています。

人によっては「姑さんと同居しないのが条件です」と結婚前に言い切る女性もいます。

姑や舅拒否、晩婚に少子化、いつから日本はこうなったのでょうか?

辞書を引けば、「家庭とは、家族の住む所」とある。

そして「家族」を引いてみると、「家族とは、親子、夫婦、兄弟を基礎として生活を共にする集まり」とあります。

更に「旧法では、家長に統率される同一戸籍を持つ構成員。家父長権によって統率される家族、国家の基礎となる制度ーー昭和二十二年に廃止ーー」とある。

なるほど。昭和二十二年とは、第二次世界大戦で日本が敗北した二年後。日本は民主主義国家に変身した。

民主主義は、家長の権限を認めないため、家族は平等となった。この頃から、日本の家庭には家長という責任者がなくなっていたのだ。

親と子供は平等ではない。親は親権という権利と義務を持つ。
家庭の中で、母親が「お父さんはエライ!」と教えないで、どうして子供が父親の言うことを聞くのか。

父親は友達ではない。一家の大黒柱であり、責任者なのです。

お母さんは例えて言えば、現場監督。子供の心と健康に一番早く気付いて手を打つ立場。

長男長女は次長に課長。その下の兄弟は係長や主任、平社員。赤ちゃんは何も知らない新米。

平社員の前で社長が課長を叱ってはいけない。課長は面目を失う。

現場監督のママは、そっと「お兄ちゃんやお姉ちゃんは、ママの次にエライのよ。下の子に優しくね。お手本になってよ」と長男や長女と握手する。

そして社長のパパが困った時は、相談役の祖父に聞く。
これが家庭の秩序というものではないでしょうか。


ある講演先の高校で、若い体育の教師が、自分の体験談を話してくれました。



「私のオヤジはいつもクラスで一番の成績の私の兄貴を自慢していました。

それに比べて、中学の頃から私は『お前は体ばかり大きくて、頭は空っぽだ。友達も悪い。その服装も良くない』などなど。

事あるごとに、いつも兄貴と比較され、色々指摘され、うるさく言われ、嫌われていました。

ある日の夜、私がシンナーを手に入れた時、父親に見つかってしまい、『出ていけ!』と怒鳴られました。

私は思わず『言われんでも、こんな家、出ていくわ!』と家を飛び出し、自転車に飛び乗り、宛土もなく走り続けました。

隣町の駅前に着いた時、タイヤがパンクしてしまい、修理しようとポケットを探ったら、財布を忘れたことに気付きました。

友達の家に電話もかけられず、終電も通り過ぎ、仕方なく無人の駅の隅のベンチに座っていたら、いつしか涙が出てきました…。

そのまま、うつらうつらと眠ってしまい、どれぐらいの時間がたったでしょうか。

不意に肩を叩かれて思わず、『警察か?』と、体を震わせながら、恐る恐る目を開けたら、祖父が立っていました。

『ジイの自転車の後ろに乗れ。しっかりつかまれ』。

そして真夜中に家に着いたのです。父と母が二人で玄関の前に立って、私たちを待っていました。

そのまま私たちは家の中に入っていったのですが、祖父は私に『ついてこい!』と大声で言って、さっさと奥の部屋に入っていきました。

私は祖父の背中にぴったりついて入っていきました。
部屋には、ジイとバアのふとんの間に客用のふとんが一つしいてありました。

私はその夜はその客用のふとんでジイとバアの間に入って寝て、夜を明かしたのです。

孫の私に対するジイとバアの温かい思いやりに触れ、嬉しくて、ふとんの中で泣きました…。

その翌日から、私はワル仲間と離れ、生まれ変わったように勉学に打ち込み、体育系の大学受験に合格できました。

今の私があるのは、祖父母のおかげです」…。


祖父母は一番身近な先祖です。

真の家庭とは、先祖を大切にすることから始まるのではないでしょうか…。