cosmos2013さんのブログ-090901_1108~01.jpg

あるカウンセラーの方の記事です。



今は亡き私の父親の体験談です。

父の名前は要(かなめ)といいます。

父、要は大正元年、大分県の国東町で生まれた。

家は代々続く農家の一族の本家だった。

九人兄弟のうち六人は成人前に死去し、男三人の兄弟が残り、父は次男の立場だった。

尋常高等小学校を卒業し、農学校へ進学したが、十四歳の時、思いがけない災難に襲われた。

いつものように学校から帰って、父の農作業を手伝うために畑に出たが、体中がだるくて動かない。

やっとの事で家にたどり着いたが、そのまま意識不明になって、三十九度を超える高熱が三日たっても下がらず、大分県立病院へ搬送された。

病名は「突発性骨膜炎」。リレーの選手として運動場で練習していた時、転んで右足に負った傷から菌が入ったらしい。

骨膜の炎症で、右足が胴体ほどに腫れ上がり、入院後、直ちに右足を切開手術した。

抗生物資のペニシリンが発見される数年前で、当時の医療技術としては、化膿・炎症を防ぐ手立てがなく、血管や筋肉を切除する大きな手術になった。

退院しても寝たきりで、六年間は、毎日ガーゼの取り替えをしなければならなかった。

二十歳の秋、やっと包帯がとれ、嬉しくて嬉しくて、松葉杖にすがって戸外に出た。

久しぶりに吸う外の空気は、本当に気持ちの良いものであった。

しばらくすると、村の人たちが物珍しげに近づいてきた。

そして、子供たちから「ああ、チンバじゃ!チンバじゃ!」と言って、はやし立てられた。

初めて言われた「チンバ」という言葉に、要はショックを受けた。

右足は曲げることが出来ず、棒のようにまっすぐ伸びたままだったのだ。

それからは、松葉杖をついての療養生活になったが、胸に抱いていた夢は崩れ去り、将来のことを考えると暗い気持ちになった。

そんなある日、縁側近くの部屋にいた要の耳に、近所の人たちの世間話が聞こえてきた。

「カナちゃんも、むげねえけど(可哀想だけど)、兄貴の必次さんも大変じゃな。一生、面倒を見ることになるじゃろう」

それを聞いた要は、言いようのない悲しい気持ちになった。

その日から、要はじっと思い詰めるようになった。
「このまま自分が生きていけば、両親や兄弟の重荷になってしまうのだ…」

一週間ほど経った日の朝、家族がまだ寝ている暗い時、要はそっと起き上がり、足を引きずりながら、近くの海岸へと向かった。

そして、海辺に出て岩の上に這い上がった。

「自分は何で、こんな体になったんだ…」

岩の上に座って、自分の運命に泣くだけ泣いた。そして、意を決して、海に身を投げようとした。

その瞬間、後ろから誰かが飛び出して、要の足に抱きついた。

岩から降ろし、後ろに引き倒した。
そして、要は力いっぱい殴られた。

要の父親の唯次だった。
「最近、要は少し様子がおかしい」と感じていた唯次は、家を出た要の後をつけてきたのである。

「こん馬鹿もんが!お前をここで死なせるぐらいなら、何で身上をはたいて治療を受けさせるか!

何を考え違いをしちょるんか!」
そう言って、唯次は要を抱き締めて泣いた。

体を震わせて慟哭する唯次を見て、要は父親の気持ちを初めて知った。

「自分はこんなことで死んじゃいけないんだ。どんなことがあっても生きなければならないんだ」という強い思いが湧いてきた。

しばらくして、唯次は言った。「のうカナ。これからのことを考えようや…」

要はいろいろ考えた末、足が不自由でも出来る仕事として、紳士服のテーラーになろうと心に決め、同時に松葉杖を捨てて、自分の足だけで歩く訓練を始めた。

それから、要は地元の先生に弟子入りして、仕立ての基礎を習得した後、

日本でも第一級の技術を身につけたいと考えて、東京の松竹映画社直属の松竹洋服技能専門学校に入った。

そこで最先端の紳士服縫製技術を身につけた後、東京の小石川で自分の店を構えた。

結婚して家庭を持ったのは終戦の少し前だが、父、唯次はすでに他界していた。

要は九十四歳まで生きたが、「自分の足で歩く」という信念を貫き、晩年も一切、杖をつかなかった。

私は祖父、唯次の顔を知りません。
しかし、私は父親の要を救ってくれたその祖父に、心から感謝しています。

もし、あの時、祖父(唯次)が祖父の息子であり、私の父親である要の心の異変に気付かなかったら…。

そして、家をそっと出た息子(要)の後を追ってくれなかったら…。

そう。私はこの世に生まれていなかったのです。
祖父が、私の父の心をじっと見守っていてくれたお陰なのです。

子育てを考える時、私が以前、育児の専門の方から教えて頂いた言葉があります。

いつも思い出す言葉です。


「乳児の時には肌を離さず。幼児の時には手を離さず。少年期には目を離さず。そして、青年期には心を離すな」…。