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ある女子高生の手記です。


人生の転機となった、あの日のことを私は今でもはっきりと覚えています。


クラスのある女生徒が、万引きをして停学処分を受けた日のことです。

担任の○○先生は、教室に来られると、「彼女は今、とても反省しているのだから、温かく見守ってあげて欲しい」と言われた後、

「僕が中学の時、学校きっての問題児だったと言ったら、みんなは信用するだろうか」と、想像もできないような先生自身の生い立ちを語ってくれました。

「僕の家は貧しかった。その上、小さい頃の記憶といえば、父と母の喧嘩ばかりだ。

毎日のように、炊きたてのお粥鍋が蹴飛ばされ、母が髪の毛を持ってひきずり廻された。

その度に、母にしがみつき、泣き叫んでいたことを覚えている。

小学校に入ると今度は、顔の痣のことで、みんなから冷やかされた。遊びたくても、のけ者にされ、三年生の頃にはとうとう学校きっての問題児となってしまった。

ひねくれ、いじけていた。でも本当は誰からも愛されたいと、いつも思っていた。何かにつけて反抗的な態度を取り、素直になれない自分がもどかしかった。

僕が変わったのは、中学の時、ある先生に出会ったからだ。その先生は僕を本当に大事にしてくれた。やがて僕は、その先生のような人になりたいと思った。

高校を卒業すると、家出同然のように上京し、お金がなかった僕は、新聞配達をやりながら大学を卒業した。

冬はとても仕事がつらかった。特に雨の日などは、アカギレした手に新聞のインクが染み込み、手が紫色になってかじかんで、しまいには感覚がなくなってしまった。

そんな時、いつも『愛に悩んだ者は、愛に勝たなくてはいけない。本当の意味で、人を愛せる自分になるんだ!』と自分自身を奮い立たせた」。

いつも生徒に接する時は、厳しい態度を取っていた○○先生の目が、いつか涙で光っていました。

「僕が、こんなに変わったように、みんなだって今の自分からは想像も出来ない将来があるはずだ。

十年、二十年たって、自分の人生を振り返った時、本当に人間として成長し始めたのは、あの一年三組の時からだったと一人一人が言えるように、これから頑張っていこう!」

先生は、涙をぬぐおうともしませんでした。

私たちのクラスは、学年で一番問題の多いクラスでした。
どの先生が注意しても、授業を真面目に受けることができない、そんなクラスだったのです。

ところが、この時ばかりは教室のあちこちから、すすり泣きの声がしました。
そんな中で、私はじっと、自分の過去を噛み締めていたのです。

小学六年生の時、私の一家は、バラバラになってしまいました。
父と母は、訳あって別れてしまったのです。

それから私は、母と妹と共に、住み慣れた大分を離れ、母の郷里である千葉に来ました。古びた借家が新しい生活の場でした。

二年、三年たち、私たちの生活は少しずつ、陰りを帯びてきました。生き生きしていて誰にでも誇れる人だった母が、みるみる輝きのない母に変わってしまったのです。

「真由美、私の人生は失敗だったかも知れないね」と何気なく母が言った時、私はどこからともなく、たまらないような寂しさが募ってくるのを感じました。

しかし、当時の私は母を励ますだけの力もなく、話を聞いてあげるだけで精一杯でした。

そのうち私は、ふさぎ込んで暗い性格になり、友達の笑いの輪の中にも入っていけず、悲しみに耐えきれなくなった自分を、アニメで慰めるだけの毎日が続きました。

母は、仕事を何回となく変えながら、私たちに不自由させまいと一生懸命に働いてくれました。

苦しい生活を支える母が、何とか幸せをつかもうとして、その度に何人かの人たちに捨てられてしまったことは、私にとって、とてもつらく悲しいことでした。

大人たちの醜さを何度となく見せつけられました。
世の中とは、こんなものかも知れない。

私は自分の未来に夢を託す余裕すらなかったのです。

○○先生の話を聞くうちに、今まで自分の中に重く降り積もっていたものが、どんどん溶けて押し流されていくような気がしました。

やがて熱いものが次々と込み上げてきて、とめどなく流れてくる涙の中で、私は

「こんな自分じゃいけない。もっと勇気を出して、頑張って生きていかなくては!」と心の底から叫んでいました。

自分の未来は、自分で切り開いていこう!母の悲しみに比べれば、私の悲しさなど何と小さなものか。
これからは、母や妹を励ましていける自分にならなくては。

今まで環境に負けてきた弱い自分に別れを告げた瞬間でした。

クラスの人たちも、この日を境に段々変わり始めました。

先生が一人一人を本当に大事にしてくれました。
そして、三学期には私のクラスは学年で一番いいクラスになっていました。

私も先生に見守られる中、学年末には生まれて初めて全校で一番という成績をとることができました。

また、生徒会書記、美術部員としても活躍し、これまでにない満足感を味わうことができました。

そして、いつの間にか仲間から頼られる自分に変わっていたのです。
私が変わるにつれ、母も少しずつ明るくなってきました。

私は今、小学校の教師になろうと決意しています。

「愛に悩んだ者は、愛に勝たなくてはいけない」

その言葉が、私を支えました。
こんなにも自分を変える力になりました。


教壇に立った時、私もまた、あの○○先生のように自分自身の生き方を見失い、迷っている生徒たちの一人一人に、希望と勇気の火を灯していける教師になっていきたいという、大きな夢を描いています…。