cosmos2013さんのブログ-090922_1540~02.jpg

ある女性の記事です。



私が四歳の時、父は亡くなり、父の亡き後、母は兄と私を必死で育ててくれた。


私が小学三年生の時だった。ある日私は、体調を崩して学校を休んだ。
母は仕事を休むことができなかったため、お粥と梅干しを置いて仕事に行った。

翌日も熱が下がらなかった私に母は、「今日のお昼は駅前の食堂にオムライスを注文しとくけん、届いたら食べや」と言って仕事に行った。

私はオムライスと聞いて、嬉しさのあまり、布団を払いのけて飛び起きた。
当時はオムライスとかハンバーガーなどは滅多に食べられなかったため、お金持ちの人たちだけの食べ物だと思っていた。

そのオムライスを今日は私が食べられるのだ!そう思うと興奮して、母が朝食に作ってくれたお粥と梅干しには目もくれず、私はわざとお腹を空かしてお昼を待った。


正午過ぎ、ついにオムライスが届いた。

私はあの時の感動を今でも忘れることができない。
ふんわり玉子の甘さとケチャップの酸味が口の中でとろりと溶けて、生まれて初めて味わった絶妙な味に私は酔いしれた。

その日の夜、帰宅した母に、私は飛びつくように「オムライス、めちゃ美味しかった」と言った。

母は私の額に手を当てながら「まだ熱あるなあ。明日も休んで、オムライス食べや」と笑顔で言った。母が天使に見えた。

翌日もオムライスが届き、私は幸福感に浸っていた。
そして熱も下がり元気になった。しかし私は、二日間食べたオムライスの味が忘れられず「もう一度だけ食べたい」と強く思った。

そしてこの思いは私を予期せぬ行動へと走らせた。

翌朝、布団の中で体温計を手でこすり、わざと温度を上げて母に見せ「まだ熱があるけん、今日も休む。オムライス、また頼んでな」と嘘をついた。

嘘がばれないか心配で、心臓がバクバクして口から飛び出しそうになった。
しかし、母は黙ったまま仕事に行った。

正午過ぎ、またオムライスが届いた。
「さすが母ちゃんや」。私は感激して、母は本当に天使だと思った。

これが最後のオムライスだと思うと、もったいなく思えて、半分だけ食べて残りの半分は夕食に残した。

その夜、帰宅した母に「オムライス、めちゃ美味しいけん、半分は今から食べる」と、半分残した皿を見せて言った。

しかし、母に昨日までの笑顔はなかった。しばらく黙っていた母は突然、般若のような怖い顔で私を睨み付けて、

「あのな、世の中で一番惨めで悲しいことは、お金の貧乏ではなく、心の貧乏や。
うちはお金はないけど、平気で嘘をつくような心の貧乏な子に育てた覚えはない。嘘つきは神様が許しても、母ちゃんは許さん!」と怒鳴り、私が持っていたオムライスの皿を畳に放り投げた。

私は驚いて大泣きしながら畳の上に倒れ込んだ。

古くて色あせた畳の上に放り出された私とオムライス。私は、自分が世界一惨めな子供だと思った。

貧乏なのは私の心じゃない。私の家が貧乏なのが悪いのだ。お金持ちの家の子が毎日食べているオムライスを、私がたった三日間食べただけで罰が当たるはずがない。怒る母が悪いんだ。

私は畳の上に散らばったオムライスをわしづかみにして一気に口の中に詰め込んだ。ケチャップと涙でベトベトになった私の顔を母はとても怖い目で見ていた。

今思うと、あの時の目は怖さ以上にとても悲しい目でもあった。この時の私は、私にオムライスを食べさせるために、母が三日間、昼食を食べずに働いていたことなど知る由もなかった。


あれから四十年。私はやっと、あの時の母の言葉の意味が分かってきた。

「嘘つきは神様が許しても、母ちゃんは許さん」。

この言葉はこれまで私の頭の中をずっと支配し、何か悪事を思いついてもふと我に返りブレーキをかけてきた。

しかし、人間は生きていく上で、時と場合に応じて他人を傷つけないために、やむを得ず嘘をついてしまう時がある。

母の言葉の本当の意味は「嘘をつくな」ということではなく、「やむを得ず嘘をついてしまう時でも、その心の片隅にほんの少しでも相手に対して『ごめんなさい』と謝り、ためらう気持ちを持てる人間になれ。平気で嘘をつき、平然と人を欺く人間には絶対になるな」ということではないか。

現在八十歳になる母に、当時の心境を聞いても「さあ、遠い昔のことは忘れたなあ」とはぐらかされるばかりだが、

これまでの母の生き方や周囲に垣根を作らない人との接し方を見ていると、私はそう確信する。


拝啓、母ちゃん。
駅前の食堂は当時のまま営業しているそうですね。

「思い出のオムライス」、今度一緒に食べに行きませんか…。