ある教職員の方の記事です。
戦前、戦中を通じて思うように勉強できなかった私は、苦しい戦後の生活から二十年近くかかって、何とか独り歩きできるようになった。
当時私は、職業訓練指導員として教える側にいたが、常に学力の不足を感じ、何とかして自らの学力を向上させたいという思いから某大学通信制への入学手続きを取った。
しかし、中卒では大学への入学資格がありませんので、まずは新制高校卒業の資格を取得して下さいとのこと。
やむを得ず、私は大学入学への夢を一時あきらめて、独学しながら勤めに精を出した。
その後、結婚して子供も生まれ、何とか世間なみの生活ができるようになった。
生活に落ち着きが出てきた私は、昔あきらめた大学入学の夢の実現のため、再び高卒の資格を取りたいと、某高校の通信制の門を叩いたのだった。
定年退職を一年後に控えていた私にとって、まさにこれは最初で最後のチャンスに思えた。
そして、無事に念願の通信制高校に入学した私は、安堵の気持ちと、来年退職するまでに高卒の資格を何とか取得して、頑張って卒業しようと決意した。
私のクラスは、やはり、17、18歳から30代ぐらいの若い男女ばかり。57歳の私は不安が募る一方で、しかしよく講堂を見渡すと、50代、60代あたりの生徒も目につき、いくらかホッとした。
教科書、指導書による独学、深夜までかかってのリポート作成や提出などに追われて忙しかったが、クラスで最高年齢の私は、若返ったような気分に浸り、充実した日々をおくった。
勉強できることの充実感に感動しながら、勤めと通学を両立させたのだった。
時は流れ、いよいよ卒業式を迎えた。
一人一人が校長から直接、卒業証書を手渡される。
「○○弘!」「はい!」
私の名前が呼ばれ、緊張してうわずった私の声が静まり返った講堂に響く。
壇上への階段を昇る私を、来賓や職員、そして全生徒が注目した。
「おめでとう!よく頑張ったね!」
校長がそう言って手渡してくれた卒業証書には、しっかりと私の名前が書いてあった。
「ありがとうございました!」
その時である。最年長の私が一礼をして、壇上から降りようとした時、思わぬことが起こった。
一段一段と卒業の感激を確かめるように降りる私に、千余名の後輩たちが一斉に拍手をおくってくれたのだ。
思わず顔を上げた私は、胸に熱いものが込み上げてきて、座席の生徒の姿が、ぼおっと霞んでよく見えなかった。
講堂に響く拍手は、私が席に着くまで続いた。
何とも言えない幸福感に浸りながら、着席した私は、卒業証書に書かれた自分の名前を何度も繰り返し見ながら、58歳で卒業した喜びを噛みしめていた…。