ある一人の尼僧の話です。
以前、京都に大石順教先生という腕のない尼僧がいました。
十七歳のとき、ある凄惨な大量殺人事件に巻き込まれ、養父に自分の両腕を切り落とされるという耐え難い体験をされました。
しかし、順教先生はそういう境遇を嘆くことなく、口で筆を執って書を書くなど、自立の道を歩み、結婚、出産、さらに出家という道をたどられました。
その無私の生き方は、日本のヘレン・ケラーと称され、他界されて三十年になる現在も光彩を放ち、人々に夢と希望を与え続けています。
大阪の四天王寺には順教先生の腕を切り落とした養父の墓があります。何とこの墓は順教先生が建てられたものなのです。
本来あってしかるべき養父への憎しみや恨みを持つことなく、「そういう嫌な役回りを果たす人がいたからこそ、今の幸せがある」と語られていたそうです。
先生はよく「禍福一如(かふくいちにょ)」という話をされました。
禍いと福は一つという意味です。
「両手がないことがマイナスなのではない。心の持ち方で一つの出来事が幸せになったり、不幸になったりする」と語られています。
そして順教先生は、自身と同じように手のない人を弟子にして画家として育てました。
その人たちに「人の出来ない生き方をしなさい。人の描けない絵を描きなさい」、「絵は床の間に掛けて頂くもの。口が使えないなら足で描いてもよいが、口が使えるなら口で描きなさい」と指導されました。
食事から掃除、洗濯まで日常生活のほとんどを自分でこなされる先生の一挙手一投足に、お弟子さんたちは多くのことを教えられたそうです。
さらに先生は生前よく、「また生まれ変われるものなら、手のない体で生まれたい」と語られていたそうです。
その言葉を聞いて驚きました。
普通、こんな不自由な体であれば、次は「五体満足」な体で生まれたいと思うでしょう。
しかし、再び手のない体で生まれたいと言いきれるのは、かえって手のないことで多くの恩恵を受けた実感があるからなのです。
私は思います。
このように、自分の人生に感謝しきっている人は、常に光り輝いており
そして、多くの人たちに希望と感動を与えることができるのだと…。
以前、京都に大石順教先生という腕のない尼僧がいました。
十七歳のとき、ある凄惨な大量殺人事件に巻き込まれ、養父に自分の両腕を切り落とされるという耐え難い体験をされました。
しかし、順教先生はそういう境遇を嘆くことなく、口で筆を執って書を書くなど、自立の道を歩み、結婚、出産、さらに出家という道をたどられました。
その無私の生き方は、日本のヘレン・ケラーと称され、他界されて三十年になる現在も光彩を放ち、人々に夢と希望を与え続けています。
大阪の四天王寺には順教先生の腕を切り落とした養父の墓があります。何とこの墓は順教先生が建てられたものなのです。
本来あってしかるべき養父への憎しみや恨みを持つことなく、「そういう嫌な役回りを果たす人がいたからこそ、今の幸せがある」と語られていたそうです。
先生はよく「禍福一如(かふくいちにょ)」という話をされました。
禍いと福は一つという意味です。
「両手がないことがマイナスなのではない。心の持ち方で一つの出来事が幸せになったり、不幸になったりする」と語られています。
そして順教先生は、自身と同じように手のない人を弟子にして画家として育てました。
その人たちに「人の出来ない生き方をしなさい。人の描けない絵を描きなさい」、「絵は床の間に掛けて頂くもの。口が使えないなら足で描いてもよいが、口が使えるなら口で描きなさい」と指導されました。
食事から掃除、洗濯まで日常生活のほとんどを自分でこなされる先生の一挙手一投足に、お弟子さんたちは多くのことを教えられたそうです。
さらに先生は生前よく、「また生まれ変われるものなら、手のない体で生まれたい」と語られていたそうです。
その言葉を聞いて驚きました。
普通、こんな不自由な体であれば、次は「五体満足」な体で生まれたいと思うでしょう。
しかし、再び手のない体で生まれたいと言いきれるのは、かえって手のないことで多くの恩恵を受けた実感があるからなのです。
私は思います。
このように、自分の人生に感謝しきっている人は、常に光り輝いており
そして、多くの人たちに希望と感動を与えることができるのだと…。